ゆるキャラではなく「ゆる神」、個性が爆発するミャンマーの土着神たち。
※本記事は特集『ライターがオススメする裏観光』、ミャンマーからお送りします。
パゴダ巡りの裏に隠れた「ゆる神」たち
移住暦も長くなってくると、「ミャンマーのどこがそんなにいいの?」と聞かれることがよくあります。私にとってのそれは、厚みある多層な文化だからです。
何より、土着信仰が仏教とがっつり融合し、日々の暮らしにしみわたっているところがたまりません。そして土着の神々は、造形がどこか手抜きでユーモラス。ゆるキャラならぬ「ゆる神」と、勝手に命名し愛でています。
ミャンマー観光といえば有名パゴダ巡りがメインになりがちですが、ゆる神たちにもぜひご着目ください。違った角度からミャンマー文化が見えてくるはずですから。
土着神の2大潮流・ナッ神とウェイザー
ミャンマーの土着の神々は、大きく分けて2つのカテゴリーにくくれます。
まずはナッ神。バガン王朝が国民支配のツールとして仏教を取り入れるまで、ミャンマーで広く信仰されていた多神教の土着信仰です。バガンの王は布教の際、「ナッの神々は仏陀のしもべ」と説明してナッ神信者たちを取り込んでいったといわれています。
これはバガンにあるシュエジーゴンパゴダの仏塔の土台。ナッ神が仏陀の配下であることを広めるために、パゴダの土台を支えるようにナッ神像のレリーフを配置しています。こうした布教の経緯もあり、パゴダには様々な形でナッ神が入り込んでいます。
ナッ神は「37神いる」と言う人がよくいますが、これは後世になって恣意的にリスト化されたもので実際はもっと数が多く、37神の選び方も時代や学者によって異なります。ナッには木や石に宿る神もいますが、37神に入っているのはほとんどが王朝に関係があり、なおかつ非業の死を遂げた元人間です。日本で、時の政権によって死に追いやられた平将門や菅原道真を神として祀る様になったのと似ています。
もうひとつの土着信仰の潮流は、「ウェイザー」と総称する錬金術師ともいうべき超能力者を死後、神として祀るケース。水中に住んでいるなど、明らかに伝説上と思える人もいれば、写真が残っているほど最近まで生きていた実在の人物もいます。
ゆる神巡りの旅へGO!
ゆる神の中でも、特に有名な面々をご紹介しましょう。
地域やパゴダの守護神・ボーボージー
ボーボージーはパゴダや地域全体を守ってくれる守護神で、すべてといってもよいほどどのパゴダにも祀ってあります。町の入口にもよく彼の祠がしつらえてあります。
また、得度式(僧侶になる儀式)の最後には、多くの出家者がボーボージーにお参りをします。乾季のシュエダゴンパゴダ内のボーボージー祠の前は、得度式ラッシュの様相を呈するほどです。
ボーボージーの祠にはよく、大きな丸い石が置いてありますが、これは占い石。願い事を唱える前と後に持ち上げて、後の方が軽かったら叶うとされています。
騙まし討ちで焼け死んだ悲劇の兄妹・マハーギリ&ナマドー
ミャンマーでは多くの家や街角に、ココナッツが吊るしてあります。これはナッ神マハーギリ&ナマドー兄妹を祀ったものです。
マハーギリは並外れた怪力の鍛冶師でしたが、彼を恐れる王は彼の妹ナマドーを妃に迎え、それをエサにマハーギリを城へおびき寄せ、火あぶりにしました。その際、兄を助けようとして妹も焼け死んでしまいます。ふたりはある樹に棲みつくナッ神になりますが、さらに王はその樹を伐り倒して川に放流。それを下流の民たちが引き上げてポッパ山に祀りました。
マハーギリ兄妹のためのココナッツはカーテンなどで光を遮っておくのですが、これは焼死した彼らは光を嫌うからだそうです。
モン族の水牛守護神・ナンカライン
頭に水牛をのせた姿で表すナッの女神で、彼女を祀る祠を玄関前に出している家には十中八九、モン族が住んでいます。
9世紀頃、モン王国の王が弟に暗殺され、逃げ延びた王妃は生まれたばかりの王子を水牛の群れの中に隠します。そこで牝の水牛ナンカラインが乳母となって王子を育て、大きくなった彼はインドの侵略から王国を救うために水の神の助けを得ますが、引き換えに水牛を1頭供儀しなければならなくなりました。それを知ったナンカラインは自ら命を絶って頭を王子に捧げ、ナッ神になったのです。
海辺のことなら任せておけ・ウーシンジー
竪琴を手にしたこちらのナッ神はウーシンジー。主に、ミャンマー南西部のエーヤワディ地方で信仰を集めています。
竪琴の名人として名をはせていた若者ウーシンジーはメインマラー島(エーヤワディ地方にある実在の島)を訪れた際、その演奏に魅せられ彼を島から出すまいとした島の女神姉妹により、溺死させられてしまいます。彼はナッ神になり、海に出る人びとの守り神となりました。
ミャンマーでは船出に際しては、ウーシンジーに供物を捧げます。また、海から遠い都心で彼の像を祀ってある家があれば、それは家族の誰かが船員であることを意味しているのです。
実在の超能力者・ボーミンガウン
ウェイザーの代表格がこちらのボ-ミンガウン。1952年に亡くなった実在の人物だけに、写真も残っています。有名なのがしかめっ面で片膝をついて座る写真で、彼の像はこのスタイルに造るのが定番。日本人の目には、仁侠映画に登場する菅原文太にしか見えません。
彼は、脱線した列車をひとひねりでどかしたり、首をはねられた鶏を生き返らせたりと、数々の超能力エピソードを残しています。死後60年ほどしかたっていないのに、今やたいていのパゴダでひとつは彼の像を見かけるほど、広く信仰を集めています。
ボーミンガウンの好物は煙草。たいてい指や口にタバコを挟めるように造ってありますが、シュエダゴンパゴダなどでは火事の危険から、火がついたままでのお供えは禁止です。
食欲は太陽をも止める・ウーパーグタ法師
こちらもウェイザー。水中に住んでいるとされ、見た目は僧侶ですが実在の人物ではなさそうです。海や川などの水辺に建つパゴダであれば、必ずと言っていいほど祀ってあります。彼の姿は必ず、托鉢の鉢に片手を突っ込み、頭は斜め上方を向いたスタイルで造形します。それにはこんなわけが……。
ウーパーグタ法師はある日、悪霊退治に忙しく、昼食の時間に遅れてしまいました。しかし、ミャンマーの僧侶は昼の12時以降は食事を取れません。そこで彼は、もうすぐ真上にさしかかろうとする太陽を超能力で止め、食事をしたのです。
彼の力の強力さを物語るエピソードですが、様々な善行を果たしたろうに、後世に残るのが食い意地の張った姿とはちょっと気の毒な気も。実際、「僧侶が食欲に囚われるとは」と彼を嫌う仏教徒もいるようです。
憑依儀礼で重要になる神々の特徴
ここまで見てきてお気づきと思いますが、ミャンマーの土着神は元が人間というケースが多いせいか、誰も彼も人間味があり、見る者が共通に認識している特徴があります。
これが顕著になるのは憑依儀礼の時。ミャンマーの霊媒師はナッ神をその身に乗り移らせて様々なお告げをするため、どの神が乗り移っているのかをはっきりさせる特徴付けが重要になるのかもしれません。
たとえば同じ女神でも、マネレーは楚々としておしとやか。服や靴などきれいなのものと、なぜか卵が大好き。だからきらびやかに着飾っているのに、手にはバッグではなく卵が。
対する上の写真のアメージャは荒々しく少々下品。胡坐をかいて座り、葉巻好きです。これで子宝祈願には、なかなか霊験あらたかな神様なのです。
こうした違いから、霊媒師にナッ神が乗り移った際、そのしぐさでどの神が憑いたかが誰にでもわかるわけです。
願い事を叶えてもらうために、神々の好物も把握
また、煩悩を捨て悟りを開くことを目指す仏教に対し、欲望を叶えてくれる土着神にはできるだけ意に沿うお供えをしたいもの。そのためでしょうか。好物がはっきりしている神様が多いのです。
先に紹介した、水牛の神ナンカラインの好物は魚。この写真はナンカラインへの捧げ物ですが、魚料理がずらりと並びます。
飲食店がよく祀るナッ神ゴージージョーは大酒飲みで、趣味は賭博(特に闘鶏)。好物は酒とフライドチキン、煙草。
こちらは龍の女神ミンナンヌエ。好物は生卵と牛乳、そしてなぜかポップコーン。
こうしたお供えの違いから、参道のお供え売場を見ると、どんな神様が祀ってあるのかだいたいの想像がつきます。
次に、実際に神々に会える場所を見てみましょう。
「会える神々」とその場所
ナッ神の総本山・ポッパ山
ゆる神巡りなら、何を置いてもポッパ山ははずせません。山頂を切り取ったような異様な形の山は前述のマハーギリ兄妹を祀った場所で、他にも多くの伝説が残ります。
ポッパ山にはかつて、ポッパメイドーという名の花喰い鬼が住んでいました。そこへ若い頃に錬金術師の遺体を食べて超能力を得た商人(この設定もいかがなものでしょうか)がやってきて彼女と恋に堕ち、双子のシュエピン兄弟が生まれます。
ところが王の策略で夫を殺され、息子たちを取り上げられたポッパメイドーは狂死し、ナッ神となりました。後に非業の死(後述)を遂げることになる彼女の息子たちもナッ神となり、ポッパ山に祀られています。
このように多くの重要なナッ神を祀るポッパ山はまた、ウェイザーたちの修行の場にもなってきました。ここで修行し、後に偉大なウェイザーになったのがボーミンガウンなのです。山中では大小様々なボーミンガウン像を祀っていますが、ただでさえヤクザのようないでたちなのに、信者たちがお札をたくさん供えるので、実に俗物的な姿になってしまっています。
全土の霊媒師が集結して大憑依祭り・タウンビョン村
ポッパ山と並ぶナッ信仰の聖地がタウンビョン村です。
前述のポッパメイドーが産んだ双子の息子たちは勇猛果敢な戦士に育ち、王は彼らの手を借りて今の中国領土に攻め入りました。帰途、王はタウンビョン村にパゴダを建てるよう兄弟に命令。しかし、兄弟に嫉妬した大臣の策略にかかって2人は処刑され、ナッ神となるのです。
タウンビョン村では毎年8月(年により多少ずれる)の満月の日にかけての数日間、シュエピン兄弟の像を神殿から出す祭りを行います。その際にミャンマー全土から霊媒師と信者たちが集結。村のあちこちで憑依儀礼を繰り広げるのです。
ミャンマーの霊媒師は元は男性のトランスジェンダーが大多数。男でも女でもない存在というのが、神の妻にふさわしいとみなされるのかもしれません。一種異様な雰囲気のこの祭り。機会があれば是非参加してみてください。ただし、想像を絶する混雑になるので、安全は保証できませんが……。
ナンカラインの聖地・ヒンターゴンパゴダ
ナンカラインの“本場”はヤンゴンから車で約2時間のバゴーに建つヒンターゴンパゴダ。ナッ神のパゴダだけに憑依儀礼を行うことが多く、運がよければ踊り狂う霊媒師を見学できるかも。
また、ヤンゴン郊外のローガ湖畔南西エリアにはモン族が多く住んでいますが、ここに建つタードゥカンパゴダの近くには、ナンカラインの足跡と伝わる穴があり、多くの参拝者を集めています。
鄙にも稀な有名聖地・デーソンパーパゴダ
ミャンマーでは時折、「何でこんな田舎に突然、これほど立派なパゴダが!」と驚くことがあるのですが、ここもそのひとつ。ヤンゴンから車で2時間半ほど北上したパヤージーのさらに郊外にあります。周囲に何もない荒地に突如、大きな僧院が建ち並ぶ通りが現れます。参道にはどこから湧いてきたのかと思えるほどの人出が。バスで参拝に来る団体さんが多いようです。
ここを有名にしているのは、祀っているナッ神よりも参道の托鉢。僧侶に加え、尼僧や修験者までおびただしい数の人々が、寄進を求めて道の両側に並んでいるのです。他ではちょっと見ない光景です。
車の守護神・シュエニャウンビン・ボーボージー祠
最後に少し変り種を。ボーボージーは街の守り神ですが、北部方面からハイウェイでヤンゴンへ入り、タウチャンの連合軍兵士墓地を過ぎて少し行った道路沿い西にあるその祠は、車の守り神として知られています。新車を買った時や車が事故に遭った後などに、車ごとここへお参りするのです。参拝方法がまたユニーク。
ミャンマーではパゴダに参拝する際、頭を床につくように3度お辞儀しますが、ここでは祠に向かって3度、車が前進&バックを繰り返します。最後に紅白のリボンを結んでもらって終わり。数あるボーボージー祠の中で、なぜここだけが車の守り神になったのかは謎です。
コレクター魂を刺激する魔性のダルマも
いかがでしょうか? ここで紹介した土着神はほんの一部。各々決まったスタイルに描かれ、性格にも特徴のあるユニークな神々がミャンマーにはたくさんいます。
また、神というより縁起モノともいうべきピッタインダウンもゆる神巡りにははずせません。パゴダや僧院、ホテルや道端など、あらゆる場所で突然遭遇します。ミャンマーを訪れた旅行者の多くが虜になり、ついつい置物を大量買い。帰国後に我に返って唖然とするという伝説が伝わる“魔性のダルマ”です。
あなたもぜひ、ゆる神の世界を堪能しにミャンマーへおいでください!
*
編集:ネルソン水嶋
- ※当サイトのコンテンツ(テキスト、画像、その他のデータ)の無断転載・無断使用を固く禁じます。また、まとめサイトなどへの引用も厳禁です。
- ※記事は現地事情に精通したライターが制作しておりますが、その国・地域の、すべての文化の紹介を保証するものではありません。
この記事を書いた人
板坂 真季
ガイドブックや雑誌、書籍、現地日本語情報誌などの制作にかかわってウン十年の編集ライター&取材コーディネーター。西アフリカ、中国、ベトナムと流れ流れて、2014年1月よりヤンゴン在住。エンゲル係数は恐ろしく高いが服は破れていても平気。主な実績:『るるぶ』(ミャンマー、ベトナム)、『最強アジア暮らし』、『現地在住日本人ライターが案内するはじめてのミャンマー』など。Facebookはこちら。