同じ意味でもメルヴェイユにヴンダーバール、”優雅”なフランスと”実用”のドイツその違い。
※本記事は特集『海外のライバル』、ドイツからお送りします。
本場はドイツなのに!!
クリスマスの本場はドイツなのでは?
クリスマスマーケットの本を書くために、ドイツと近隣諸国のクリスマスマーケットを取材していたときのことです。
「クリスマスの首都、ストラスブール」
フランス・アルザス地方のストラスブール駅に降り立ったとき、こんなキャッチコピーが目に入りました。同地で開催中の、クリスマスマーケットのポスターでした。
「ん?」と、それを見た瞬間に引っ掛かりました。クリスマスはキリスト教の行事だし、クリスマスマーケットも各国で行われています。ストラスブールのクリスマスマーケットは、フランス最古とも言われています。
でも、でも。
「クリスマスマーケットの本場はドイツでは!?」と、私は心のなかで叫びました。ドイツではクリスマスマーケットは全国各地で開かれており、長い歴史があります。たしかにストラスブールのマーケットも素敵でしたが、「クリスマスの首都」を名乗るべきはドイツのどこかなのでは? とモヤモヤした感情を抱きました。
シュトレンの本場はドイツなのでは?
その気持ちは、その後日本に一時帰国した際に、さらにふくらんだのです。場所は日本で人気の、某フランス系ベーカリーカフェチェーン「P●UL」。ちょうどクリスマス菓子の宣伝をする季節で、店内にポスターが貼ってありました。
そこには、白い粉砂糖がふんわりかかった焼き菓子の写真が。日本でも近年人気の、ドイツの伝統的なクリスマス菓子・シュトレンです。
しかし、そのポスターに書かれていたコピーを見て卒倒しそうになりました。
「シュトーレン ……フランス アルザス地方の伝統菓子です。」
いや、嘘じゃない……たしかに嘘ではないんです。アルザス地方はフランス東部に位置しており、そこではシュトレンも売っています。
でも、でも!
「シュトレンはドイツのクリスマス菓子! アルザス地方にもあるけど、本場はドイツ!! しかも正確には、シュトーレンじゃなくてシュトレン!」
と、声を大にして叫びたかったです。
人気のフランス系カフェチェーンが「フランス アルザス地方の伝統菓子」と書けば、多くの日本人は「シュトレンはフランス菓子なんだ」と思ってもおかしくはありません。アルザス地方のお菓子という表現は間違いではないけれど、フランス菓子と思われるのは抵抗があります。
ドイツのドレスデンはシュトレンの本場と言われており、毎年約3トンもの巨大なシュトレンが街中をパレードするお祭りだって開かれているんです。そのぐらい、ドイツにとってシュトレンはクリスマスに欠かせないもの。フランスには、ブッシュ・ド・ノエルというクリスマスケーキがあるじゃないですか。どうかシュトレンまで取らないで……と、半分懇願するような気分で店を出ました。
じつはドイツ人もフランスの優雅さが好き
私から見ると、フランスはとってもアピール上手。素敵なもの、きれいなもの、おいしいものは、すべてフランスが自分たちのものとして持っていく気がしています。たとえ本場がドイツであったとしても、たとえドイツ製のクオリティが高かったとしても、それがフランスの一部にもあるのなら、フランスの素敵なものとしてアピールするように思います。
断っておきますが、私はドイツに住んでいるからといって、なんでもドイツびいきなわけではありません。フランスの商品パッケージにはドイツにはない繊細さ、優雅さが感じられて好きですし、気に入っている服のブランドもフランスのもの。でも、ドイツにはドイツのよさがあり、それはもっと正当に評価されてもいいのではないかと思うのです。
ドイツはフランスのプロモーション力を見習い、ドイツならではの魅力をもっとアピールする努力が必要だと思います。
しかし、じつはドイツ人自身も、衣食住のうち少なくとも「衣」と「食」については、フランスがいいと考えていたりします。
「香水の名前は、やっぱりフランス語の響きがいいわねえ」とは、友人のドイツ人女性のセリフ。
例えばオー・デ・コロンはフランス語ですが、発祥はドイツのケルン。そう、オー・デ・コロンは直訳すると「ケルンの水」。イタリア人調香師がケルンで18世紀に生み出した製品なのです。ドイツ語にすると「ケルニッシュ・ヴァッサー」。え、やっぱりフランス語のほうがいいですか?
言葉の響きひとつとっても、例えば「素晴らしい」という意味のフランス語は「メルヴェイユ」ですが、ドイツ語だと「ヴンダーバール」。フランスの代表的なミネラルウォーターの商品名が「エヴィアン」なら、ドイツは「ゲロルシュタイナー」。なんだか両国の方向性の違いが端的にわかる気がします。
商品名にフランス語が使われるのは、かつての王侯貴族が外交においてフランス語を用いていたことも理由でしょう。ヨーロッパ各国やロシアが外交をする際には共通言語が必要であり、それがフランス語でした。
プロイセン王国(後のドイツ帝国の中核となった国)のフリードリヒ大王は、ドイツ語よりもフランス語のほうが得意だったという逸話もあります。フランス語は貴族の外交上の言葉だったわけですから、市民にもいいイメージを与えたであろうことは想像に難くありません。
「フランスは温暖だし、いろいろな食材があってグルメの国よね」と、別のドイツ人女性も言います。数人にフランスのイメージを聞いてみたところ、「衣」と「食」に評価が集中しました。
領土を取り合った独仏間の歴史
ここでちょっと、世界地図を見てみてください。
ドイツはヨーロッパのほぼ真ん中に位置していることがわかると思います。ドイツ北部は海(北海とバルト海)に面していますが、それ以外はすべて陸地。なんと9ヵ国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランス、オーストリア、スイス、チェコ、ポーランド、デンマーク)と隣接しています。
隣り合う国同士は、争いごとが起きるものです。もちろんヨーロッパも例外ではありません。世界史の授業を思い出すと、戦争のことばかり習っていたような気がします。
ドイツも諸外国と多くの戦争をしてきましたが、中でもフランスとの間でしばしば繰り返されました。19世紀から20世紀の間には、普仏戦争(現在のドイツの中核となったプロイセンとフランスの戦争)、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、フランスとの間で3回もの戦争があり、そのたびに両国の間で領土が行ったり来たりしていました。
アルザス=ロレーヌ(ドイツ語ではエルザス=ロートリンゲン)問題は、その象徴でしょう。
アルザスもロレーヌも地名で、現在はフランス北東部に位置しています。この土地は遡ると神聖ローマ帝国(現在のドイツ)に属していて、人々はアレマン語を話していました。アレマン語は言語的にはドイツ語に近く、現在もドイツ南西部やスイスとイタリアの一部などで話されている方言です。
アルザス=ロレーヌ地方は、戦争のたびにフランスの支配下になったり、ドイツになったりしていました。ですから、この地方にはフランス内でのドイツ的な要素が集約されているのです。冒頭で、ストラスブールのクリスマスマーケットとシュトレンの話を書きましたが、これはどちらもフランス・アルザス地方のお話。
争いを経て今では信頼しあうパートナーへ
戦争を繰り返した両国ですが、現在はお互いを信頼できるパートナーとみなしています。
敵対関係が信頼関係に変わったのは、1963年にフランスのシャルル・ド・ゴール大統領と、西ドイツのコンラート・アデナウアー首相が独仏協力条約(エリゼ条約)を交わしてから。これを機に、独仏の若者たちの交流団体が設立されたりなど、多くの両国共同プロジェクトが生まれ、後のEU成立へとつながる大きな一歩となったのです。
現在は二国間でかつての敵対意識はないと言えるでしょう。過去数世紀という年月を争ってきた国同士でも、互いの努力でその関係性は変えられるのだということの証明ではないでしょうか。
争いあうことで失うものは計り知れません。争いよりも手を取り合うことのほうが、結局はお互いの利益になるということを見せられているように思います。
そして、それはなにも、ヨーロッパだけのことではないと思うのです。
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編集:ネルソン水嶋
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