『オルシュティンでおにぎりを』第四回(最終):ちらりの区切りと私の旅立ち

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私、ポーランドを離れました。

読者の皆さん、 Cześć!(こんにちは!)大変ご無沙汰しております。

あと、打ち切られてもいません。

日本語教師の私、小林なつみがポーランドの地方都市オルシュティンで日本食堂『ちらり』をオープンしてから7月で丸1年になりました。企画段階から数えると、もう2年。さて、まずは私の近況を皆さんにお伝えしたいと思います。

アジア某所にてバックパックを背負う私

驚かれましたか?そう、現在、私はポーランドを離れて旅に出ています。マネージャーの私が不在で大丈夫なのかって? その前に、ちらりが前回からどうなったのかをお話しする必要があります。

 

生まれ変わったちらり(?)

昨年末から始まった洗浄室と内装の工事が終わったのは今年の6月のことです。1ヶ月の予定が、結局半年以上もかかってしまいました……。

大工のおじさん、通称・サムライ。

お茶目が過ぎますよ!

こんな事態にももうあまり驚かない自分がいたりして、ああ、慣れって怖い。ポーランドだけでなく、外国に住んでいると、日本と違ってなかなか思い通りに行かないことが多いもの。黙って待っているだけ馬鹿を見ると思っています(ただ急かしても結局変わらないのですが)。しかし、終わった。ついに工事が終わったのですよ、皆さん……!

それでは、劇的ビフォーアフター、仰天チェンジを見て行きましょう。

この白を基調としたシンプルな客席が……

なんという事でしょう! 金魚の壁紙が印象的な、高級感溢れる空間に……!

そして無事に食器洗浄室も完成したので、これからは思う存分に瀬戸物食器も使えます。しかし、あまりの変わりように驚かれた方も多いのでは?

……そう、実は、この店はもう、『ちらり』ではないのです。

 

私からみなさんへの手紙

今回の工事をきっかけに、お店のコンセプト、また『ちらり』という名前も新しいものへと変わりました。

改装後も変わらない窓からの景色

オープンして1年、企画立ち上げから数えると2年が経ちました。その間、ここには書けなかったたくさんの苦難がありました。いっぱいいっぱいだったオープン当日より、オープン前に日本から届いた日よけ幕を初めて入り口にかけた日が忘れられないでいます。

私、スタッフ、関係者ほか、自分たちのイメージが着実に形になっていく、その感動が大きな波のように私の胸に押し寄せたことを今でもよく憶えています。このお店をオルシュティンの人達に愛されるものにしたい。それがなによりの願いでした。

これは書くか悩みましたが……私とちらりを始めたスタッフは、もう一人もいません。変化はどうしても起こるものだと思います。しかし、また私の身にもその変化は起こったのです。

状況が変わる中「もうここで自分のできることはない」と判断し、私は大好きだったこのお店から離れる決意を固めました。書きたいこと、書けないこと、書くべきこと、これらが本当に難しく……皆さんをモヤモヤさせてしまうかもしれませんが、どうかお許しください。

私のこの連載記事を読んで興味を持ってくれた方、メッセージをくれた方……さらには実際に、オルシュティンまで足を運び、私とちらりに会いに来てくれた方までいました。ありがとうございました。

また、私と一緒に働いてくれたスタッフ達には本当に感謝しています。一人でもいなかったら、今は無かったことでしょう。私と一緒にちらりを作ってくれてありがとう。人によっては難しいことだとわかっていますが、今もちらりを少しでも好きでいてくれていたら嬉しいです。

 

進化しつづけるポーランド

そうして私はちらりから、またポーランドからも離れる決意をしました。しかし、だからこそこの機会に、この国について少しだけみなさんにお話しさせてほしいと思います。

夏のオルシュティンの旧市街

輝く緑

オルシュティンにいると、そのゆっくりとした時間の流れで忘れてしまうのですが、ポーランドは1992年から27年間に渡って経済成長をし続けています。その間マイナス成長が一切なく、リーマンショック後の2009年でさえもプラスを保ちました。それはEU内ではポーランドのみ……ものすごいことなのです。

すでに数年前から、世界中の投資家たちの視線がこの国に注がれています。第一回目の記事でポーランドを位置からして「ヨーロッパの心臓」と書きましたが、これからのヨーロッパ、また世界を動かす意味での心臓になっていくのかもしれません。

世界遺産にも登録されている美しいワルシャワ旧市街。歴史ある街並みのように見えますが、全て第二次世界大戦後にワルシャワ市民の手によって完璧に復元されたものです。

一方、新市街は現代的な建物が並び、ソ連の贈り物・文化科学宮殿との対比がなんとも言えません。きっと当時、スターリンもこんなにポーランドが発展するとは思っていなかったでしょうね。今ではこの文化科学宮殿と同等の高さのビルが続々と建設されています。

高層ビル建設ラッシュのワルシャワ

道路の改装工事も多い

また、文化面でもポーランドからは目が離せません。ボレスワヴィエツ陶器をはじめとする伝統あるクラフトアートは有名ですが、私がここで挙げたいのはポーランドの現代アート。

大きな社会の変化を目にしてきたアーティストたちは政治とアートの結びつきが深く、見る人に強く訴えかけてくる作品がとても多いです。そんな彼らの作品は、美術館だけでなく、街中でも見かけることができます。

“Kamień i co”(石と何)

たとえば、この作品はWiktor Malinowskiによって2009年に制作されました。作品名でもあり、壁に書かれた文字 “Kamień i co”(石と何)にはポーランド語の言葉遊びが含まれていて、私たちへのたくさんの問いかけになっているのです。”Kamień”「 石」、”Kamienica” 「安アパート」、”Kamień i co” 「石と何」、”Kamienico” 「建物へ質問」……

ここにはワルシャワのユダヤ人ゲットー(ユダヤ人強制移住区)があったのですが、この壁だけが1943年のユダヤ人蜂起、その後の1944年ワルシャワ蜂起時の激しい戦闘に耐えたそうです。白い壁、空に向かう赤い風船、あなただったら何に見えますか?

 

オルシュティンのキッチンから世界のどこかへ

この数ヶ月間、身体も心もちらりのキッチンから出ることがなかった私。今は日々新しい場所で、新しい出会いがあります。言い古された言葉ですが、世界は広い。これは真実です。私たちはどこにだって行ける。世界中のどこもが自分の場所になりうるのです。

荷物はこの35Lのバックパック1つ

この旅の目的は私の世界のアップデート。行きたいところに行って、会いたい人に会おう。

約1年間の連載にお付き合いいただいたみなさま、ありがとうございました。

また、世界のどこかでお会いしましょう!

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

小林 なつみ

小林 なつみ

1987年生まれ、東京出身。日本語教師生活5カ国目のポーランドにて、なりゆきで日本食レストランの立ち上げを任されることに。絵を描くことが好き。仕事で日本語教材のイラストや漫画を描く。海外生活を漫画で綴ったInstagramはこちら

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