『アルゼンチンと奥川駿平』後編:ラテンな嫁と僕の日々

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前回までのあらすじ

アルゼンチンに住む女の子、アントに恋をした僕。彼女に会いに行ったり、Skypeデートを楽しんだりと、幸せな日々を過ごす一方、遠距離恋愛の限界を感じる。そこで僕は、「せめて最後にハッピーエンドを」と思い、12月から2月までの3か月間、彼女を日本へ招待した。

『アルゼンチンと奥川駿平』前編:ラテンな嫁と僕の日々

 

幸せに満ちた小さな世界へ浸り込む、男の子と女の子。

「光が身体を包む」という表現が出てくる曲があった。曲名は忘れたが、妙に心に残っている。今思い返してみると、その言葉通りの光景が脳裏に焼き付いているからだ。取り替えたばかりの電球の光が、裸でベッドにいる彼女を包み込む。アントが日本へやってきたー。

12月、僕たちは羽田空港で4か月ぶりの再会を果たした。前回の終わりがキスならば、始まりはキスからである。

僕が一人暮らしする池袋のアパートに到着すると、二人で縮こまりながら狭いお風呂につかった。BGMは彼女の好きな曲。

「この音楽格好いいね」
「アルゼンチンの曲『JIJIJI』(ヒヒヒ)よ」
「変な曲名」

安アパートのお風呂に、追い焚き機能はついていない。長い時間が経ち、冷めきったお湯につかりながら、二人は心を温め合う。

翌日からはさっそく様々な場所に繰り出した。鎌倉に大仏を見に行ったり、クリスマスにはディズニーランドにも行った。

中でも彼女がとくに気に入ったものは、ファミレスでチーズインハンバーグを食べ、北口のゲーセンでUFOキャッチャーを楽しみ、クレープ片手に夜の煌びやかな繁華街を後にすることだった。

僕自身はこれまでにいつでも出来たこと。しかし、小さいながらも、僕の心を溢れるほど満たしている理由は、アントと一緒だからなのかもしれない。僕たちだけが存在する小さな世界では、何でもできるような気さえしていた。

 

悲しみのハッピーエンド前に訪れた全てを変える出来事

1月、人生を変えるような出来事は、いつも突然やってくる。彼女の生理がいつまで経っても来ない。環境の変化や疲労のせいだと考えたが、それでもおかしい。不安な気持ちを胸に、ドラッグストアで購入した妊娠検査薬を試してみる。永遠に感じられる時間は、すぐに結果を示した。

『陽性』ー。

他の検査薬を試しても、結果は同じ。いつの間にか、僕たちは互いを抱きしめていた。僕の胸の中にいる彼女は微動だにしない。

「僕を見て」

できるだけ落ち着いた声でささやく。長いまつげが上を向くと、茶色の瞳と目が合う。

「産婦人科に行こう」
「もし妊娠してたら?」

翌日、産婦人科で検査をしてもらった。結果は、妊娠1か月目。エコー写真を見て涙を流す日が来るとは思いもしなかった。

「あなたはどうしたい?」

建物の明かりが道路を照らし始めた帰り道、彼女は尋ねる。

僕は産みたいな
私も

福岡の実家に帰省した時、両親に報告した。母親には叱られこそしたが、「あんたたちの子どもなら可愛いよ」と言う姿は嬉しそうでもあった。父親は「おじいちゃんになるんやね」と温かく微笑むだけだ。

アントの母親アナにもスマホ越しで報告すると、彼女は夏の夕立のように驚きと喜びを表現し、面白い話をしてくれた。

「シュン、スペイン語で出産はダル・ラ・ルスと言うのよ」
「直訳すると光を与えるっていう意味ね」、アントは付け加える。
ディオス(神)があなたたちを導き、赤ん坊という光を与えたの

アントとは一緒になれない運命だと思っていた。だから、人生の脚本家である僕は、2人の関係性に早くエンディングをつけようとした。一度は諦めた赤い糸。だが、この希望の光が、僕たちの赤い糸を強く結び合わせてくれたのだ。

妊娠を知ったことで、二人とも不安や混乱があったのは事実だ。アントとは口から銃弾を飛ばし合うような喧嘩もした。彼女が外出している間、長らくやめていた煙草を吸って、まとわりついた臭いと罪悪感を消すよう、すぐにシャワーを浴びたこともあった。

でも、やはり、それ以上に僕は幸せだった。24歳にして、自分よりも大切なものが2つもできたのだ。愛されるよりも、愛するものがある方が幸せなのかもしれない。何より、これからもアントと2人の物語を築ける。

苦悩の時期でもあったが、同時に人生で最も喜ばしい時期を僕たちは過ごした。

 

悲しみの涙と永遠の愛の誓い

好意的なアナに対して、父親アネルは違った。妊娠を告げた日から、彼はスマホ画面から姿を消す。

ある朝、目を覚ますと、横にいるはずのアントがいない。彼女は暗い部屋で椅子に座っている。彼女の頬からは、蛇口から漏れ出る水滴のよう、静かに涙が落ちていた。父親からメッセージが届いたそうだ。内容は「中絶したらどうか?」の一言だけ。

どうしてそんなこと言えるのよ!」、何かを訴えるように激しく、そう繰り返す彼女を、僕は精一杯抱きしめることしかできなかった。

産むことを決意した僕たちは、日本とアルゼンチン、どちらの国に住むか決める必要があった。彼女は「あなたと一緒なら、どっちでもいいわよ」と微笑み、僕を困らせた。

「正直な気持ちを聞かせてくれよ」
「本当にあなたと一緒ならどこでもいいのよ。3年後も、10年後も、いつまでも同じ気持ち」

そう言うと、彼女は僕の膝の上に頭を乗せ、愛情が灯った目で見つめてくる。

「僕は君を、永遠と一日、愛するさ」

3月、アントの両親への対面での報告と、住むかどうかを決める目的も兼ねて、二人でアルゼンチンへ向かった。約1か月の滞在で、未来を過ごす国を決めなければいけない。空港では、アナと姉妹たちが出迎えてくれた。

「シュン、殺してやる!」、アナはそう言った後、僕を力強く抱きしめた。

アントの実家に到着すると、そこにはアネルがいた。「オラ(やあ)」と冷たく言い放った後、椅子に座るよう指さす。殴られるかもなと思って黙っていると、彼は無愛想な声で「どうしたんだ?」と僕に尋ねる。事前に用意していたはずなのに、頭の中から逃げ出した言葉を探していると、彼は続けた。

「子どもができて幸せか? アントとずっと一緒にいるつもりなのか?」

間髪入れずに首を縦に振ると、彼は僕の肩に手を置いた。

本当に来るとは思わなかったよ! 驚いたなあ

アネルは僕が逃げると思っていたそうだ。「だから、あのとき中絶を提案したのか」と一人納得していると、彼女の親戚たちが集まり、アサード(BBQ)が始まった。

正直に言えば、この滞在でアルゼンチンが僕に合っているのかどうかは分からなかった。ただ、アントは日本にいる時よりも輝いている。

家族や友人もいて、彼女が好きな食事もある(アルゼンチン人は食に関して保守的な傾向のようだ)。ならばと、僕はアルゼンチンに住むことを決めた。ここでなら、彼女を幸せにできる。そして、心のどこかで僕は、アルゼンチンでの生活にわくわくしていた。

 

晴れて移住も待ち受ける数々の困難

アルゼンチンに行こうと思う

帰国した僕は、家族に伝えた。

そうやろうね

表情を変えずに母親は続ける。

「私もそうだったけど、子どもは親の夢や期待を裏切る。有名大学に行って、良い企業にも内定をもらえたのにね。でも、どうせ裏切るなら、親の期待をいい意味で大きく裏切りなさいよ

結婚宣誓式での一枚

6月、アルゼンチンへ移住した。いつもの空港には、たった2か月の間に大きくなったお腹を抱えるアントがいた。心なしか、表情が柔らかくなったような気もする。

アパートが見つかるまで、彼女の自宅にあるキャンピングカーで過ごす日々。皆が寝静まった深夜、アントがこっそりとベランダからやって来ては、夜明け前には自室へ戻る。その関係は、まるで男女が入れ替わったロミオとジュリエットを思わせた。

移住後に最も苦労したのが職探しだ。英語ができるからホテルやレストランで働けるだろうと思っていたが、一向に仕事が見つからない。特に、観光客の少ない地方でならなおさらである。当然だ、僕は現地語であるスペイン語が話せないのだから。いくら日本語と英語を使えても、この国では語学堪能ではない。

メールで履歴書を送っても返信は来ない。次第に自ら足を運び、働けそうなところを見つければ、その場で尋ねるようになった。何度も悲しみや悔しさを感じることがあったが、すぐに切り替える必要が合った。心に痛み止めを打ちながら、僕はネウケンの街を自転車で走る。

アルゼンチンの季節は日本と真逆、刺さるような冬の寒さが頬を赤くする8月、園芸店での仕事が見つかった。仕事内容は主に植物の世話で、給料は月6,000アルゼンチンペソ(当時はおよそ4万円)。一ヶ月の家賃が4,500ペソと考えれば、少ない給料だと分かる。

だが、この機会は逃せない。そもそも選択肢さえないのだ。こうして僕は職を得た。

仕事自体は楽しかった。美しい太陽の光を浴びながら、同僚のパブロとセニョーラ(既婚女性の意味で、お互いの名前を知らないまま過ごした)と、午前中は丁寧に植物の水やりをする。シエスタの習慣で一度帰宅して昼寝をし、16時から20時まで働くのが1日の流れだ。

仕事をし始めてから、週末が楽しくなった。朝遅くにアントと目を覚まし、義家族と一緒にアサードを作るのが伝統である。アルゼンチンにおいて日曜日に必要なのは、家族と気心の知れた友人だけのようだ。

8月30日22時頃、アントに陣痛が起きた。痛みで体を震わせるアントを支えながら、駆け込むように病院へ向かう。時計の針が12時を超えると、僕たちの光が産まれた。

 

嵐のように過ぎ去った車修理工場での日々

移住から2年が経った2017年6月、仕事から帰宅すると、家に見知らぬ男がいた。彼の名前はマルセーロ。アントが言うには、僕を自らの会社にスカウトしに来たそうだ

「僕のスペイン語はまだまだですが」
「大丈夫さ、俺は英語ができるから。国家破綻した後、数年アメリカに出稼ぎに行ったんだ」

ぼんやりと話を聞きながら「ああ、どこかで見たことがあると思ったらマット・デイモンに似ているんだ」と思っていると、「仕事は車の修理だよ」と彼は言う。

マルセーロは車の塗装と修理を生業としていた。だが、僕は車の修理経験もなければ、運転免許も持っていないし、まして車に興味さえないのだ!

「仕事は順調だが、相棒選びに悩んでいてな。これまで雇ったやつらは、遅刻や無断欠勤は多いくせに、忙しい時期でも土日祝日は一秒たりとも働かない。日本人は真面目だと有名だからさ、少なくともアルゼンチン人よりは」
「でも、車の知識は一切ありませんよ」
「日本人だから大丈夫さ! 給料は1万3千ペソ支払うぞ」

今の倍以上の給料だ。仕事内容に不安を覚えたものの、その場でオファーを受け入れた。翌日、園芸店のオーナーに仕事を辞める旨を伝え、翌週からマルセーロと働くことになった。

「まず職場に来たら、ここにあるライターで暖房をつける。すぐに手を引っ込めないと、火傷するから気をつけろよ。そして、あそこにあるポットでマテ茶の準備をするんだ。マテ茶は作れるだろう?」、マルセーロは続ける。

「しばらくの間は、やすりがけや洗車をしてもらって、徐々に力をつけてもらおう」、そういうと彼は粗い研磨紙を渡す。

「やすりは優しく丁寧にかけるんだ! 塗装は一切ごまかせないからな!」

今までに見たことのない道具、飛び交う専門用語、慣れない肉体労働で文字通り頭も体もくたびれ、死んだようにぐっすりと眠る日々。ただ、仕事を失うまいと、空いている時間にはスペイン語と車の修理技術を学んだ。手や顔を真っ黒に汚し、熱心に働く。汚れたインディゴシャツと茶色の靴を見ると、マルセーロの相棒として役に立てている気がして、自然と笑みがこぼれた。

しかし、人生を変えるような出来事は、いつも突然やってくる。

ふだん通り、修理工場に行ってもマルセーロは来ない。携帯に連絡をしても出ない。1時間、2時間待っても来ない。翌日も、翌々日も、ついに1週間経ってもマルセーロは姿を見せなかった。彼は「これまでに29人雇った」と言っていた。それは、彼が29人をクビにしたことを意味し、僕は記念すべき30人目の解雇者となってしまったのだった。

解雇通知もされずに、僕は命綱のように頼りにしていた職を、たった3か月で失った。ある時、風の便りでマルセーロがチリにいると耳に入った。そういえばいつだったか、「チリで車の修理工場を開くのが夢だ」と語っていたな。

 

僕たちの物語はまだまだ終わらない

突如仕事を失った、しかし親となった今悲しみに暮れる暇もなく、すぐに次の仕事探しを始めた。始めるしかなかった。恥を忍んで以前の園芸店にも行ったが、そこには新たな人間がいた。

毎週日曜日、母親に孫の顔を見せるためにテレビ電話をする。ひとしきり二人を対面させたあと、「仕事はどう?」と聞かれたが、平常を装って「何とかやってるよ」と答え、そんな自分自身の言葉に衝撃が走った。

「なぜ嘘をついた?」、心の中で自問する。正直に事情を伝えれば、「日本に帰っておいで」と言ってくれるはずだ。日本に住めばここまで職探しに苦労することはないだろう、その方が楽なのではないか? 深く考えたが、答えはひとつしかない。

ああ、僕はアルゼンチンを離れたくないんだ。理由は分からない。最初はアントのためという考えだったが、でも今は、僕自身がアルゼンチンに恋している。

ここで生活を続けるためにも職が必要だ。どうにかしなければと焦っている時、ネットで見つけたフリーランスの文字。ネットさえあれば外国にいながら仕事ができる。たとえば、ライターなんてどうだろうか。アントに意見を尋ねた。

「ライターをしようと思うんだけど」
「あなたの人生だから、やりたいことしなよ」

いつものようにアントは僕の決断を応援してくれる。

いつか僕たちのストーリーを書けたらいいね

安堵から冗談がこぼれた。

ライターとして執筆する記事の導線になると知って、Twitterをはじめた。はじめは語学の学習法やアルゼンチン生活について呟いていたが、偶然呟いたアントについてのツイートに反応が合った。それからも好きなものについてツイートをし続けた結果、世界一愛するラテンな嫁が残った。今ではすっかり、彼女との惚気話ばかりだ。

そして今、僕はライターとしてこの原稿を執筆している。隣には息子をあやすアントがいて、おもちゃが散らかった床を見ながら、僕たちの美しい思い出を物語として綴っている。

さて、小説ならここで終わりだが、僕たちのストーリーは続いている。かつて思い描いたハッピーエンドは、まだまだやってこない。死が二人を分かつまで、アントとの日々は終わらないのだ。

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この記事を書いた人

奥川 駿平

奥川 駿平

1992年生まれ、福岡県古賀市育ち。アルゼンチン在住歴3年。美人アルゼンチン人嫁と結婚するために、新卒という大きすぎるブランドを捨ててアルゼンチンに移住。毎日マテ茶を飲むほどのマテ茶好きで、同世代で最もマテ茶を消費していると自称。今さらながら、Twitterにドはまりしています。

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