ベルリンの壁は残っていた? 街灯でわかる東西の歴史

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※本記事は特集『海外の夜景』、ドイツ・ベルリンからお送りします。

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東はオレンジ、西は白。異なる光源がもたらす2つの色

日本からの長いフライトも、間もなく終わり。飛行機はゆっくりと高度を下げていきます。やがて雲の切れ間から、夜の闇に包まれた街が現れました。道路に沿って柔らかいオレンジ色の光が並んでいます。あぁ、またここに戻ってきたんだ。私が住むベルリンに。ほっとするのは再び日常へ戻る安心感と、この温かいオレンジ色の光のせいなのかも……。

……と、ずっと思っていました。ところがです! 今回調べて初めて知りましたよ、ベルリンは東西で光の色が違うのだということを!

なんでも、旧西ベルリン側は白い光で、旧東ベルリンはオレンジ色なのだそうです。「旧」と書いた理由は、ベルリンは1990年まで、西ドイツ領と東ドイツ領の2つに分かれていたから。

東ベルリンの代表的な街灯・その1

東ベルリンの代表的な街灯・その2

第二次世界大戦に敗れたドイツは、1990年に再統一されるまで、西ドイツと東ドイツの2つの国に分かれていました。話がちょっとややこしいのですが、ベルリンは東ドイツ国内にあり、ベルリンの中でさらに東西に分かれていました。つまり西ベルリン(アメリカ・イギリス・フランスの占領下)は、その周りを東ドイツ領にぐるりと囲まれていたのです。

東西で分かれるベルリン(1949-1990)©Lencer

上の図で、右上の小窓部分に載っているのが統一前の西ドイツ(ブルー)と東ドイツ(ピンク)です。東ドイツ内に東西ベルリンがあり、ベルリン部分を拡大したのが大きな図です。ベルリンの中で西(ブルー)と東(ピンク)に分かれているのがわかると思います。

そして、西ベルリンと東ドイツ領を隔てるために東ドイツが造ったものが、ご存じベルリンの壁でした。壁は崩壊し、東西ベルリンは再び一つの街になりましたが、なんと街灯の色は今でも東西を分けていたのです。しかし、私は旧東ベルリン側に住んでいるので、15年間ずっと「ベルリンの街灯はオレンジ色」と思い込んでいたのでした。

 

冷戦下、「陸の孤島」の西ベルリンでガス灯が長らえた理由とは

なぜ東西で光の色が異なるのでしょう。そこには歴史的背景が隠されていました。

第二次世界大戦後の旧東ベルリンの街灯は、低圧ナトリウム灯という電灯を使っており、オレンジ色の光を放っています。これには、虫を寄せつけにくい効果があるそうです。一方、旧西ベルリンはガス灯が中心で、こちらは黄色っぽい白色。水銀灯の青白さとは違い、温かみのある白です。現在は、省エネの観点から少しずつLEDに交換されているところです。

ガス灯野外ミュージアム(昼)・その1

歴史的には、電灯よりもガス灯のほうがずっと古く、ベルリンに初めてガス灯が灯ったのが1826年のこと。技術や明るさ、安定性は向上していますが、その後にもたらされた電灯に比べると、より多くのエネルギーを要します。現在のガス灯は電灯の2倍、LEDの10倍のエネルギーを費やすそうです。

旧西ベルリンは西ドイツ側、つまり資本主義で、戦後は著しい復興を遂げました。それなのに電灯ではなく、技術的に古い、エネルギーをより必要とするガス灯が主流だったなんて、ちょっと意外ではないですか?

ガス灯野外ミュージアム(昼)・その2

ここで、先に書いた旧西ベルリンの位置を思い出してください。東西ドイツ分断時代の西ベルリンは、周りを東ドイツに囲まれていたため、電気を輸入するしかありませんでした。でも、電気が西ベルリンにやってくるまでには、東ドイツを通らなくてはなりません。資本主義の西ドイツ・西ベルリンと、政治的に対立していた社会主義の東ドイツ。もし途中で電気を止められてしまったら? そのリスクを回避するために、西ベルリンは自前で石炭ガスを製造していたのでした。

東西ドイツが再統一し、電気を止められるリスクがなくなった1990年に東西ベルリンのガス灯は約4万4000基があり、そのほとんどは旧西ベルリンに立っていました。1995年には石炭ガスから輸入の天然ガスに切り替わりましたが、今でもなお3万2000基のガス灯が残っています。なお、ベルリン全体では約22万4000基の街灯があるそうです。

ガス灯野外ミュージアム(夜)

現在、ガス灯は徐々にLEDに変わっているところですが、ユネスコ世界遺産登録を目指してガス灯を残そうという運動もあります。もしかするとそこには、ガス灯という形でベルリンの歴史を残したいという思いがあるのかもしれません。そのことを示すように、旧西ベルリンのティアガルテン公園には、ガス灯野外ミュージアムがあり、ドイツとヨーロッパ各国のガス灯が並んでいます。

 

名所旧跡のライトアップで感じる夜の街並みの恐怖

日本の繁華街の夜はイルミネーションが瞬いて華やかですが、ドイツにはそうした場所はほとんどありません。私が知る限りでは、ドイツの歌舞伎町とでも言うべきハンブルクのレーパーバーンでしょうか。夜に輝く歓楽街です。

しかしドイツでは、こうしたイルミネーションはあまり見かけません。じゃあそのかわりに何があるのかというと、名所旧跡のライトアップです。

廃墟が浮かび上がる西部ドイツ・モンシャウの夜・その1

廃墟が浮かび上がる西部ドイツ・モンシャウの夜・その2

バイエルン州コーブルクの州立劇場

このライトアップ、幻想的できれいなのですが、じつは私はちょっと怖いのです。昼間にはメルヘンチックに見えた街並みが、夜になると襲いかかってくるように感じます

西部ドイツの街ミュンスターの目抜き通りと聖ランベルティ教会

ドイツは中世から続く街がいくつもあります。例えば、名所によくあるゴシック建築は、尖った屋根と重々しいシルエットが特徴。それが下からライトアップされたら……。ほら、人の顔だって下から懐中電灯で照らすと、おばけみたいで怖いものですよね。それと似たような気分になると言ったら、なんとなくわかっていただけるでしょうか。

世界遺産登録の北部ドイツ・ヴィスマール、メルヘンチックな街並みも夜は別の顔

しかも長い歴史の中には、当然ながら幾度もの戦いが繰り返されています。「もしかしたらこの広場で、あんなことやこんなことが……」と想像しだしたところに、下から照らされるトンガリ屋根の教会。怖いです、怖いんですよ。

 

10月はいかつい建物が花柄に包まれるプロジェクションマッピング

しかし、名所をうまく利用した夜景イベントもあります。ベルリンで毎年10月に開かれる、建物に映像を映し出すプロジェクションマッピングのイベント。ふだんはいかつい印象の建物がカラフルな花柄に包まれて、いきなりポップ&ラブリーに変身。音楽と映像が次々と変わっていき、目が離せません。

花柄や幾何学模様に変身した、ベルリンの名所旧跡の数々・その1

花柄や幾何学模様に変身した、ベルリンの名所旧跡の数々・その2

こうしたイベントが可能になる季節は、夜が長くなる秋から。ドイツは緯度が高いので、夏と冬では日照時間に大きな差があります。さらにサマータイムを導入しており、毎年3月最終日曜から10月最終日曜までは、時間が1時間早まります。つまり、日中の明るい時間がそれだけ長くなるということ。最も日の長い夏至の日は、午後10時頃にようやく暗くなり始めます。

花柄や幾何学模様に変身した、ベルリンの名所旧跡の数々・その3

花柄や幾何学模様に変身した、ベルリンの名所旧跡の数々・その4

だから、夜景を愉しむなら秋以降がおすすめです。とはいえ、住んでいる者としては、冬はあまりに暗いため、冬季鬱になりがちでつらい季節です。冬は夜景よりも太陽の光がほしいというのが、在住者の正直な気持ちだと思います。

 

イルミネーションだけが夜景ではなかった

ところで「夜景」と聞くと、すぐにイルミネーションやライトアップを想像してしまいましたが、じつは人工的な光のない夜も美しいものだと知りました。そう気づかせてくれたのは、ドイツ観光局が制作した「ドイツ夜の旅」という名の動画です。

ドイツ全国の都市・自然・地方色豊かな文化の魅力を余すところなく伝えたこの動画は、国際観光映画祭で銀賞を受賞したそうです。美しさと、恐ろしさと、歴史を感じられるドイツの夜。昼間とは別の表情を感じられることでしょう。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

久保田 由希

久保田 由希

東京都出身。ただ単に住んでみたいと2002年にドイツ・ベルリンにやって来て、あまりの住み心地のよさにそのまま在住。「しあわせの形は人それぞれ=しあわせ自分軸」をキーワードに、自分にとってのしあわせを追求しているところ。散歩をしながらスナップ写真を撮ることと、ビールが大好き。著書に『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』(大和書房)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか多数。HPTwitterFacebookInstagram

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