マレーにインドに中華系…マレーシアの民族衣装はひとつじゃない?

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※本記事は特集『海外の民族衣装』、マレーシアからお送りします。

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カラフルな民族衣装で体感するマレーシアの多文化

マレーシアって本当にいろいろだなあ、と感じるのは、街なかを歩いていて、顔立ちや肌の色の違う人や、それぞれの民族衣装を見るときです。

主だった3民族の女性だけみても、マレー系は「バジュ・クルン」、華人(中国系)はチャイナドレス、インド系はサリーと、大きく異なります(男性にはさらに別の装いがあります)。また、移民が来る前からマレー半島やボルネオ島に住んでいた先住民族は、樹皮などの自然素材を銀細工やビーズで装飾した、独特の衣装を受け継いでいます。国家的なイベントで各民族の代表が集まると、さながら民族衣装の博覧会のよう。

多民族社会のマレーシアには、どんな民族衣装があるのか。まずは、人口の7割以上を占めるマレー系の衣装から紹介しましょう。

 

イスラムの戒律に沿ったマレー系の衣装

一番よく見かけるのは、マレー系女性の民族衣装「バジュ・クルン」でしょう。日本の着物のような正装やよそ行きということではなく、通勤や通学など、ふだんの生活で着られているからです

さまざまな衣服の人たちが乗っている、首都圏の電車。

後述する先住民族は別にして、マレー系の人びとはイスラム教徒で、戒律に従って女性は胸元や手足を露出しない服装を選びます。「バジュ」は“丈の長い上衣”、「クルン」は“覆うもの”といった意味。その名の通り、長袖のブラウスと、くるぶしまで届く長いスカートの組み合わせで、体の線が出ないゆったりとしたシルエットです。

地元の女性たちは、鮮やかな発色の化繊地が好みの様子。年中暑い熱帯の気候ですから、汗に濡れてもすぐ乾くという理由もありそうです。

モスク入口にある、ふさわしい服装の案内。

緑を基調にしたバジュ・クルン(クラフト・コンプレックスの工芸品展示にて)

頭髪を覆うことについては必ずしも一様ではありませんが、多くのイスラム女性たちは、その日の服装に合った色の「トゥドゥン」というスカーフを頭に巻いています。このスカーフと服のコーディネート、スカーフ留めに凝るのが彼女たちのおしゃれのようで、バザールなどに行くと、いろいろな色やデザインのものがたくさん並んでいます。

ちょっとドッキリ。頭髪を覆うスカーフ、トゥドゥンの売り場。

女性に比べると、マレー系の男性はシャツにスラックスという出で立ちが多く、伝統的な衣装「バジュ・ムラユ」(“マレー人の上衣”)を着るのは、改まった席や、金曜日の集合礼拝のときが多いようです。1か月にわたる断食が明ける「ハリ・ラヤ」(断食明け大祭)のころになると、デパートなどで晴れ着の特設コーナーができます。

断食明けを控えて、バジュ・ムラユを扱う売り場が登場。

バジュ・ムラユの上衣は、ボタンが3つほどの詰め襟の長袖で、ゆったりした同色のズボンを合わせます。ウエストから腰にかけて巻く「サンピン」という布がアクセントになっていて、「ソンコック」というビロード地の帽子をかぶります。

メッカ巡礼を済ませた人はイスラム社会では敬意を払われる存在。「ハッジ」と呼ばれ、「ソンコック・ハッジ」という白い帽子をかぶっています。

 

マレー半島やボルネオ島の暮らしがわかる先住民族の衣装

独立記念日など諸民族が集まる催しでひときわ目をひくのは、「オラン・アスリ」(“もともと住んでいた人びと”)とよばれる先住民族の衣装です

マレーシアに住む、さまざまな顔立ちの人たちと伝統衣装(国立博物館にて)

大きくはダヤック、カダザン、イバン、バジャウなどの民族に分かれ、その中にさらに小さなグループがあります。マレーシア全体からみると人口の約1割程度ですが、ボルネオ島にあるサラワク州ではイバン人、サバ州ではカダザン人がもっとも多い民族グループです。

樹皮でつくった衣類をまとう、先住民族マーメリの男女(繊維博物館にて)

先住民族ムル(左)とイバン(右)の男女の民族衣装(繊維博物館にて)

ムル女性のスカートには細かい刺繍が施されている。(繊維博物館にて)

ムル男性の外出着は貝殻で装飾した樹皮衣と木綿の赤い腰布。(繊維博物館にて)

イバン女性の銀の首飾りと、ビーズで編んだ肩掛け。(繊維博物館にて)

イバン男性の上衣は、糸を先に染めて織った絣の「プア」。(繊維博物館にて)

マレーシアの衣服は、中東で生まれたイスラムが伝わって以降、アラビア文化の影響を受けています。また、19世紀以降には植民地支配をしたイギリスを通じて西洋の衣服も入ってきました。

しかし、イスラムの影響が強まる13世紀以前は、マレー女性は胸を覆う習慣がなかった(つまり上裸)など、土着の衣生活もあったのです。先住民族の伝統衣装は、この地域の衣生活を知る上でも興味深いものがあります。

 

派手で豪華をよしとする華人の美意識「チャイナドレス」

中国系の伝統衣装としては、女性のチャイナドレスが有名です。華人(中国系)にとっては一年で一番大きな行事の中国正月(旧暦の新年)には親族などで集まりをもつので、女性は晴れ着を用意するようですが、男性のチャイナ服は街なかではほとんど見かけません。

中国正月前のデパートのディスプレイ。男性のチャイナ服もある。

そのため、実際に目にするのはパーティーのとき、または中華料理レストランの店員の制服ぐらいで、意外と機会がないものです。

正月を控えて、晴れ着のチャイナドレスを選ぶ華人女性。

むしろ、中国系としては、「プラナカン」の女性の衣装「サロン・クバヤ」を見かける方が多いかもしれません。プラナカンとは、大航海時代以降に、主に中国から渡来してマレー半島に定着した移民と、地元のマレー系のカップルの間に生まれた子孫のこと

中国の伝統とマレー系の生活文化が入り混じった、独特な生活様式をもった人びとで、プラナカン女性は、繊細なレースのブラウス「クバヤ」と、ろうけつ染めのバティックを使った筒型のスカート「サロン」を身につけます。

プラナカン女性の伝統衣装、サロン・クバヤ。(繊維博物館にて)

 

インド女性のアイデンティティ「サリー」

マレー系、華人と同様、やはり女性の方が伝統的な衣装を着ているのがインド系で、特に目をひくのは「サリー」です。5メートル以上の長い一枚布を腰から巻きつけて肩に垂らすもので、上には同色のシャツ「チョリ」を合わせます。正装には絹地のサリーがありますが、たいへん高価なので、普段着では化繊が多く着られます。

クアラルンプールのインド人街、ブリックフィールズ。

わたしは、マレーシアで受講していた大学のコースの終わりに、インド系の先生にサリーをプレゼントされたことがあります。着せてくれた別の先生(こちらもインド系)によるとサリーの着付けにも技があるようで、体の前に寄せるプリーツ(ひだ)が美しさの決め手で、同時に歩きやすさにも関係することを知りました。

ただいま着付け体験中。サリーを着せてもらう外国人留学生。

面白かったのは、このふたりの先生の衣生活が対照的だったこと。着せてくれた先生は、インド系であることにプライドをもち、自身も日常的にサリーを着ている女性。「最近の若い子は、サリーもちゃんと着られなくなってしまって」と嘆きつつ、手早く学生たちにサリーを着せてくれたのでした。

もう一方の先生は「(インド系だけど)わたしはあんまりサリーは着ないのよね」。ただ、サリー用の布地をひとからもらったりすることがあるので、外国人学生たちに記念の贈り物をしようと思いついたようです。

そういえば、その先生はいつも鮮やかな色のブラウスに活動的なパンツ姿でした。家族間で英語を話す家に育ったこともあり、生活文化や考え方も西洋風、という印象。同じインドからの移民の子孫でも、本国との距離はさまざま、ということなのでしょう。

街なかでは、サリーよりも動きやすい「シャルワール・カミース」姿が多い。

「パンジャビ・スーツ」ともよばれる「シャルワール・カミース」もよく見かける衣装です。こちらは、刺繍のある丈の長い上衣にゆったりしたズボンの組み合わせの服で、サリーよりも活動的な印象です。

インド系の男性の衣装は、女性に比べて見かける機会が限られます。マレーシアのインド系の多くは南インドからの移民の子孫で、伝統衣装は出身地方によっても異なるようです。

礼拝所を守るインド系シーク教徒の親子。母親の代に移住して息子はマレーシア生まれ。

インド系のコミュニティを歩いていると、おじいさんなどが上半身裸で「ドーティー」という腰布を巻いて涼んでいる姿も見かけますし、ヒンドゥー寺院などでは丈の長い上衣にズボンの組み合わせという人に出会うこともあります。

ヒンドゥー寺院での拝礼。導師たちの衣服はインド伝統のもの。

 

マレーシアの「ナショナル・ドレス」としてのバティック

ご紹介した通り、国内に住むさまざまな民族の伝統衣装はありますが、「日本といえば着物」というような、「マレーシアを象徴する衣装」は独立当時ありませんでした。しかし、国際的な会議やスポーツ・イベントなどで「マレーシア代表」としての装いを求められる場では、中国やインドの民族衣装では本国との関係で不具合もあり、バティック(ろうけつ染め)を利用したシャツが着用されています。

マレーシア・バティックの男性用シャツ。(繊維博物館にて)

バティックは、インドネシアを中心にシンガポールやマレーシアなどに広がりをもつ工芸品で、男性の長袖シャツは、スーツにネクタイ着用と同等の格の服装として扱われています

マレーシアには半島部東海岸に国産のバティックもあり、産業振興を兼ねて、官公庁などでは毎週木曜日にはバティックを着ることが奨励されています。

それぞれにルーツをもつ、インドネシアや中国、インドの伝統とは別に、バティックでマレーシア国民としての一体感がもてるのかどうか。移民で成り立つ多文化の国は、多様性を保持しつつ、統合のシンボルとしてのナショナル・ドレスを模索しています。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

森 純

森 純

マレーシアを中心に東南アジアを回遊中。東南アジアにはまったのは、勤めていた出版社を辞めて一年を超える長旅に出たのがきっかけ。十年あまりの書籍・雑誌編集の仕事を経てマレーシアに拠点を移し、ぼちぼち寄稿を始めました。ひとの暮らしと文化に興味があり、旅先ですることは、観光名所訪問よりも、まずは市場とスーパーマーケットめぐり。街角でねこを見かけると、つい話しかけては地元の人に不思議がられています。

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