『ドイツ・ベルリンと久保田由希』:あぁ私、毎日ベルリンで生きてる

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こんにちは。いつも海外ZINEを読んでくださって、ありがとうございます。ドイツについてあれこれ書いている、ベルリン在住ライターの久保田由希です。

えー、今日は私自身について書きたいと思います。どうして私がベルリンに来たか、それから今までどうやって暮らしているか、などですね。こんな機会もそうそうないと思うので、今回はこの記事をいま読んでくださっているあなたと直接お話しするつもりで、私がふだん友人と話しているような口調で書きますね。ま、お茶でも飲みながら聞いてください。

私はちょっと、ビール飲みながら話しますよ

 

ドイツ語ゼロで現地校へ。小学生で受けたカルチャーショック

なんで私がベルリンに来たかといえば、話は子どもの頃まで遡るんだけど、小学6年生のときに、1年間だけ西ドイツに住んでたの。父親の仕事の関係でね。

そのときまだドイツって、西と東の2つの国に分かれてて、私がいたのは西ドイツのほう。その町には日本人学校がなかったら現地校に通ってさ、ドイツ語も英語もわからないのに。でも楽しかったんだよね。言葉が全然わからなくても、なんとなくコミュニケーションは取れたし、いじめられもしなかった。

学校は、もぉ〜日本と大違い。周りのクラスメイトは同い年のはずなのに、体はデカいし、ませてるし、大人かと思ったよ。それに、校内にディスコもあったね。すごくない? その学校は日本でいう小学5年生から高校生まで合同の学校で、下級生用と上級生用のディスコがあった。私はそのとき6年生だったから下級生用のしか入れなくって、ディスコっていっても普通の教室でラジカセで音楽かけてただけなんだけど、上級生用のは本格的っぽかったな。

あと、掃除当番もなかったよね、校内の掃除は業者さんの仕事だから。なんかいろいろ違うんだなーって思ったよ。まさにカルチャーショックってやつ。その1年で、自分が一気に大人になった気がした。

それで1年後に日本に帰国して、そのまま公立中学に入ったの。そっからは、ずーっと日本。日本で大学出て、就職して。学生時代や働きだしてからも、ドイツへはときどき旅行してたよ。子どものときに住んでた場所に行ってみたりとか。でもそれだけ。

 

ベルリンはドイツじゃなかった

ドイツに住もうと思ったのは、一言で言うと仕事のストレスから逃げたかったから。私はいろんな出版社で合計10年ぐらい編集をやってたの。編集っていっても実際は幅広いんだけど、私の場合はお花屋さんの雑誌とか、絵本やエッセイ本を作ってた。雑誌編集をしていたときは、カメラを持って現場取材して、帰社したら原稿書き。原稿をデザイナーさんに回したら校正して、その合間に次号の企画を立てたり。別の出版社では作家さんとの打ち合わせや原稿チェック、校正、印刷手配とか、毎日嵐のようだった。仕事は好きだったんだけど、いつもやることに追われてすっごいイライラしてた。「このまま行ったら、自分がダメになる」って、切羽詰まってた。

そんなときに、フッとドイツのことが蘇ってきてね。あードイツは住みやすかったよなー、また行ってリフレッシュしたいなーって。それを口実に会社を辞めて、西部ドイツのケルンで3ヵ月間語学学校に通ってドイツ語を学んだんだ。ケルンは子どものときに住んでいた街からわりと近くて、何回か行ってて馴染みがあったから、ちょっと安心感があった。

ケルンは世界遺産登録の大聖堂で有名

そのあとにいったん日本に帰ってフリーライターとして仕事を始めて、2年後にベルリンに来た。この街に決めたのは、それまで何回か旅行していて、よさそうだったから。なんか自由な感じがしたんだよね。

世界遺産登録されたベルリンの博物館島を背景に踊る人々

夏の晴れた日は、ベルリンの公園でひなたぼっこ

これ、私はもう100万回ぐらい言ってるし、ベルリン人もそう言うんだけど、「ベルリンはドイツじゃない」のよ。すごく正直に言うと、私は決してドイツの大ファン! ってわけじゃないんだ。もちろん、私にとって特別だし、好きな国だよ。でもドイツのすべてが大好きかって言われると、ちょっと違うと思う。

だけど、ベルリンは好きなんだ。ここドイツじゃないでしょってくらい小汚い感じとか、誰にでも居場所があるような自由な雰囲気がね、ベルリンにはある。いまは経済状況がよくなってきて、だいぶ真っ当になっちゃった気がするけど。だから私はドイツに住んでるというよりも、ベルリンに住んでるんだと思ってるし、そう言ってる。

こういう雰囲気のベルリンが好き

 

ベルリン生活を支えてくれた日本の仕事仲間

ベルリンに来たときは、1年ぐらい住むつもりだった。ドイツでは仕事できないだろうから、貯金で暮らすのは1年ぐらいが限度だろうなと思って。ドイツはワーキングホリデービザがあるけど、取れるのは30歳未満で、私はとっくにその年齢を超えてたから。

でも、来てみたらすっかりベルリンが気に入っちゃって、もう少しいたいなーと思ううちに、日本の出版関係の知り合いからポツポツとライターの仕事をもらえるようになって、「あ、もしかしてこの仕事でこっちにいられるのかな」って思いはじめた。

それから雑誌にベルリンやドイツ情報を書き始めて、本も出せて。そのまま気づけばもう10年以上も経って、自分の本をこれまでに14 冊も日本で出版してもらえたんだもん、ほんと、人生何が起きるかわからないもんだよ。いろんな人に助けられて、どうにかやってこられたから、感謝しかない。

みなさんに支えられて、本も書けました。ありがとうございます

拙著『かわいいドイツに、会いに行く』で、ぬいぐるみメーカーのシュタイフを取材して大はしゃぎ

いま「海外ノマド」って言葉があるけど、私が来た2002年はSNSなんて影も形もなかったよね。スカイプすらなくて、日本に安くかけられる電話番号で国際電話してた。原稿はメールで送って、写真はフィルムや、CD-ROMに焼いたのを郵送して、っていう仕事の仕方だった。いわゆる海外ノマドの走りだったのかもしれないけど、自分ではそういうのは全然狙ってなかった。そういう働き方を特に人に勧めもしないし、反対もしない。

でも、ネットのおかげで可能性が一気に広がったのは実感してる。だから、この時代に生きててラッキーなのかもね。こうやってさ、どこにいても簡単に人とつながれるし、情報も手に入るんだから。

 

知らない世界は山ほどある。視野が広がるという財産

ベルリンに住み始めた当初は、知り合いが誰ひとりいなかった。誰かに呼ばれて来たわけじゃないからね。

語学学校に通ってると、ドイツ人と知り合う機会がないんだよ。語学学校の生徒はみんな外国人。ドイツ人は既に友人と家族で自分の世界ができあがってるから、そこにドイツ語もおぼつかない外国人の私が入っていくのは結構厳しい。最初の頃は午前中に語学学校で勉強して、午後は語学学校の友人たちとランチしたり、一人でベルリンをさまよってた。そのときはホームステイしてたんだけど、ホストファミリーは別の部屋に住んでたから、ほとんどコミュニケーションはなかったね。

ドイツ人と知り合うようになったのは、ドイツ人と共同生活をするようになってから。一つのアパートに数人で住むのよ、それぞれ個室を持って、キッチンとバスルームは共同で。そこから広がってったかな。シェアメイトとホームパーティーをやったりして、楽しかった。

でもさ、ベルリンで知り合うのはドイツ人だけじゃないんだよね。私がベルリンで得た大きな経験の一つは、中国人とニュートラルに付き合えるようになったことかな。中国人女性たちと一緒に、中国民族舞踊を習ってたの。私は中国の人に対して、戦争の歴史から自分の中に申し訳ない気分があって、最初はどう接していいかわからなかった。一緒に踊ってた中国人女性たちは私よりちょっと年上で、ただ一人の日本人の私を快く迎えてくれてね。それで、ヘンな気遣いとかなしに、ごく普通に付き合えるようになった。日本にいたら、たぶんこういう機会はなかったと思うんだ。

中国民族舞踊グループに入り、ベルリンのイベントで踊ったことも

海外に出ると、日本では絶対に知り合わないような人と出会うし、あり得ない経験もいっぱいする。日本にいたら気づかなかったこともたくさんあるし、「こうでなきゃ」みたいな思い込みからも解放される。日本で悩んでることも、一歩外に出たら何の問題にもならないことって、よくある。

世界が広がるって、こういうことなのかもね。世界が広がると、まだ知らないことが山ほどあるんだろうな、って想像もできるようになる。そうやって経験を重ねて視野が広がることこそが、海外にいる財産じゃないのかな。だから私は、いろんな経験を積みたいと思ってる。経験は、ぜ〜んぶ財産になるからね。

東京の日独協会でトークイベント。ドイツの暮らしや旅行をお話し

日本橋三越カルチャーサロンでトークイベント。ドイツのバウムクーヘンを振る舞いました

 

日本が好きな人こそ、ぜひ一度は海外へ

海外移住っていうと、なんかハードル高そうに聞こえない? でも最初っから移住とかって考えなくても、留学とか、短期ホームステイとか、旅行だっていいと思うんだ。それに、移住=永住じゃあない。ほかにやりたいことができたり、うまく行かなくなったりしたら、いつでも日本に帰っていいんだし。日本国籍があるなら、滞在許可も労働許可もなしに日本にいられるんだから。別に、海外に長くいることが偉いわけじゃないでしょ。

日本を好きな人こそ、できれば一度海外に出てほしいなぁ。外から見て初めて、日本のいいところや悪いところ、強みや弱みが見えてくるものだし。日本のことを考えるのなら、日本を客観的に見ないと始まらないと思うんだ。

私だって、いつまでベルリンにいるかはわからない。永住しようと思ったことは一度もないよ。旦那も両親も、みんな日本にいるからね。最愛の家族と一緒にいたいと思う気持ちは、どんどん強くなってきてる。それでもまだベルリンにいるのは、ここの環境が好きだし、もう少しここで自分ができることをやりたいからかな。

それは何かっていうと、そうだね、ベルリンとドイツのよさを伝えたいし、日本にいる人の心が軽くなるようなものを書ければいいなと思ってる。仕事のストレスがきっかけでベルリンに来た私が、こっちに住むうちに気楽に考えられるようになったからね。その気楽さをお裾分けできれば、って。

じつは11月にそういうことをテーマに書いた私の新しい本が、産業編集センターという出版社から出るんだ。『ドイツ人が教えてくれた ストレスを溜めない生き方』っていうんだけど。よかったら読んでみて。

『ドイツ人が教えてくれた ストレスを溜めない生き方』久保田由希著 産業編集センター 2018年11月発売(新刊内容はこちら

そうやって自分ができることをやってね、毎日精いっぱい生きられたら、それが私にとってのしあわせなの。あぁ私、毎日生きてるって思う。ベルリンに来て、よかったよ。

あ、お茶もう1杯飲む?

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

久保田 由希

久保田 由希

東京都出身。ただ単に住んでみたいと2002年にドイツ・ベルリンにやって来て、あまりの住み心地のよさにそのまま在住。「しあわせの形は人それぞれ=しあわせ自分軸」をキーワードに、自分にとってのしあわせを追求しているところ。散歩をしながらスナップ写真を撮ることと、ビールが大好き。著書に『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』(大和書房)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか多数。HPTwitterFacebookInstagram

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