ベトナムの日本人街の「路地裏街」化、SNS解禁が拓いた新時代。

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※本記事は特集『海外の日本人街』、ベトナムからお送りします。

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15世紀の皇帝の名前は「日本人街」の象徴に

私は、はじめて暮らした外国がベトナムだったので、大なり小なり海外には日本人街があることが当たり前だと思っていた。それがどうも、ほかの国にはあったりなかったりしていて、むしろある方が少数派らしい。この国の最大商業都市・ホーチミン市には、とりわけ在住日本人の間で、「レタントン(Le Thanh Ton)」と呼ばれている日本人街がある。その話をしたい。

レタントンの標識。ベトナムのフォーマットは個人的にフォトジェニックだと思う。

この名前は、正確には通り名だ。

厳密に言えば、ベトナムの前身のひとつとも言える大越国に15世紀に在位していた皇帝の名前なのだが(ベトナムは通り名に歴史上の人物や出来事を付ける慣例がある)、よもやその当人も、死後500年も経ってから自身の名前が「日本人街」という意味で呼ばれるとは思わなかっただろう

夕方5時前ともなると隣接した幹線道路から帰宅者がなだれ込み、一気に交通量が増える。

レタントンはざっくり2km弱の道なのだが、多めに見積もってハイバーチュン通りから北東へ500メートルほどの範囲が日本人街に当たる。同じ通りにある、観光スポットとしても知られる人民委員会庁舎からそのまま5分も歩いていけば、すぐに視界に日本語の看板が飛び込んでくる。

日本語の看板が日本人街に入ったことを教えてくれる(ほんとはもう少し手前からあるけど)。

 

ここ数年で乱世に突入! 立ち並ぶレストランと日本人の食事情

では、その様子をお見せしたい。中心地ともなれば、通りの両脇にたくさんの日本食店を見ることができる。寿司、焼き肉、居酒屋、ラーメン……どれもこれも、「ザ・日本食」といったものだ。

いずれも、日本の繁華街と比較してシンプルなラインナップ。しかしこれでも、私がこの街に来た2011年に比べてずいぶんと豊富になった。当時のお店はそのほとんどのカテゴリーが「日本食」。つまり、なにかに特化せず、寿司、丼もの、ラーメン、ひと通りの日本食が食べられたのだ。

かつてはここに寿司の老舗チェーン店があり日本人街を象徴するものだったが、移転してしまった。

想像も含むが、その背景には、「日本食店がそもそも少ないため、各店のメニューの多さが差別化になっていたから」「なにかに特化して修業した料理人の人材が少なかったから」、このふたつがあると考えている。しかし、この3~4年の間で、資本力のある大手チェーンの参入などからその均衡も打ち破られ、むしろなにかに特化しなければ生き残れない状況に覆った。また、日本食店で修業したベトナム人料理人の独立によってリーズナブルなお店も増え、価格競争が激化している。

かつて、といっても私が移住した2011年~2013年頃の話だが、お安いベトナム料理が豊富にある中でわざわざ日本食ランチ&ディナーを楽しむことは友人たちとのたまに過ごす贅沢でもあった(当然ながら収入にもよる)。懐はちょっと痛むがやっぱり気分が高まる、日本でいうところのフレンチやイタリアン、はたまたケーキバイキングのような位置づけかもしれない。

しかし、うれしいような切ないような、その時代は過去のものとなってしまった。なお、現地に20年近く住む日本人の話によると、彼が移住した当初は日本食店もせいぜい4,5軒くらいだったという。

漫画喫茶「Em’s Cafe」のように、食以外の差別化を図ってきた例もある(料理も美味しいが)。

そんな日本食店の激増を裏付けるように、すでに紹介したお店以外にも、最近は、牛丼、うどん、カレー、といったメニュー特化型の日本食店が増えており、そのいずれにも日本の全国チェーンが参入している。それらは日本人街・レタントンというよりも「ホーチミン市全体で」と言ってもいいのだが、生活スタイルはさまざまなので一概には言えないものの、配車アプリの普及で外国人の行動範囲が広がっている今、「日本人街=日本人向けの飲食市場」とは言い切れなくなってきているのだ

日本食店ならぬ「日本食材専門店」は、1998年から存在している。

 

在住日本人・お決まりの集合場所は「ファミリーマート」

そんな日本人街の中心はどこなのか。「それ以外にないから」とも言えるが、きっと多くの在住日本人は口を揃えてこう言うのではないか。「もちろんファミリーマートでしょ!」、と

それがこの、ファミリーマート・レタントン店。

日本人街としてのレタントン、その中心にあると言っても良い場所がこのファミリーマート。ここは直営店として2012年にオープンした。その広さは、日本の平均的なコンビニの2~3倍に感じる。

店内には、輸入品を含めたありとあらゆる雑貨が揃う。

現地の生活用品や飲食品はもちろん、ローカライズされたおにぎりや弁当にホットスナック、日本からの輸入品も手に入る。オープン当初、思わず目を伏せるほどの眩い店内照明に「ここは日本だ!」と感激するとともに、「そこで思うんかい!」と自分でも笑ってしまったことがあった。

輸入品は当然高い、カレー粉も800円以上近くと日本での3倍ほど。

このファミリーマートのおもしろいところは、ランドマーク化している点。現地在住日本人が何の文脈もなく「ファミリーマート」と言えば、大半はここか、全体を意味することが多い。「ファミリーマートに集合で」と言って、前例なくここ以外の店舗に行けばまずおかしな人だと思われる。

実際、週末の朝ともなればファミリーマート・レタントン店前には数台のワゴンバスが停まり、ゴルフバッグを抱えた駐在員と思われる男性や、軽いアウトドア姿の老若男女の日本人を見かける。それはつまり、それだけこのレタントンを中心に日本人が多く住んでおり、そうでない人にとっても言わば最大公約数的な、「全員にとってそこそこ便利な場所」だということを示している。ファミリーマートにとっても朝食やドリンクを買ってもらえる訳で、これほど幸せな共生関係はない。

ファミリーマートが入っている高層アパート「サイゴンスカイガーデン」。

とはいえ、テナントに入っているビルは昔からハイクラスアパートとして有名だったので、ファミリーマート以前から中心といえば中心だ。元墓地であるということを知る人は少ないが……。

ランドマークと言えば大層だが、このような場所は、公園だったり、スーパーだったり、地元にだってあるだろう。それは住む地域と友人が結びついており、言い換えると、日本人街は移住した日本人にとってたちまち「地元化」するということ。名実ともに日本人「コミュニティ」なのだ。

 

Facebook様々? 日本人街「路地裏」の大発展

そんな日本人街は、いつ形成されたのか。実は通りから東側に位置する地域、トンドゥクタン通り側には海軍の施設がある。現地に長く暮らす日本在住者に話を聞くと、ここはベトナム戦争の終結と同時に北ベトナムの海軍により接収、のちに海軍OBなどの関係者の手元へ渡ったという

この海軍学校の位置が、

地図上のピンを挿した場所にあたる。

それから土地の所有者が、日本人やその関係者に貸し与え、お店が増え、住居が増え、そうやって日本人街は地道に着々と形成していった。前述のサイゴンスカイガーデンを中心に政府関係者や大手商社の駐在員が住んでいたであろうことも基盤になったはず。そして、この3~4年の間でさらに、ベトナムの経済発展に伴う「日本人の大量移住」によって一気に花開いた。という訳だ

レタントンのヘム(路地裏)には、日本人向けの部屋貸しのアパートやバーが多い。

この近年の路地裏を中心とした日本人街の急速な広がりには、「ITサービスの革新も関係している」と考えている。そのサービスとは、ご存知「Facebook」だ。ベトナムは社会主義という性質上、集会や、政府への抗議行動に繋がりかねないSNSへのアクセスを長らく制限してきた。しかしVPNなどを使った制限回避によるユーザー増加は抑えられず、時代の流れに沿う形で制限を諦め、今では政府自身がページを持つまでに至っている。このFacebookの開放は国内の口コミの波及効果を強め、またベトナム語で情報を得られない日本人同士の情報ネットワークをも支えた。

路地裏は改装の自由度が高いのだろうか、より日本らしさを押し出した店が多い印象がある。

余談だが、私は移住当初、この右につづく路地の中に住んでいた。

それがどう飲食店に関係あるのだというと、「いい店の噂は広まる」ということだ。経済発展に伴う家賃の高騰に頭を悩ます経営者にとって、これは渡りに船であったに違いない(ITに苦手意識のある人にとってはさらに悩みの種になるだけだったかもしれない)。レタントンのメインストリートより数段安い家賃だが、周辺住人がようやく気づくほど奥まった路地裏では意味がない。そのデメリットがFacebookによる口コミ効果で埋められ、メリットばかりが浮かび上がった。

私は移住当初、今からほぼ7年前は上で紹介している写真のすぐ近くに住んでいたが、このとき周辺には日本人が経営する美容室が一軒あるだけだった。あとは常連客で賑わうこじんまりとした小料理屋的なお店が片手で数える程度。が、今となってはその景色も一変している。

四六時中工事中で、絶え間なく続々と日本食店ができている。

今や、日本と同クオリティの日本食が食べられるレタントン。

そうして飲食店をはじめとする日本人経営者が路地裏の有用性に気づきはじめ、個人経営の飲食店を中心に雨後の筍のように日本食店が広がり、「路地裏」は今ではお店を開く上で当たり前の候補地となった。「知らない」ならさすがに調査不足。同時に、ベトナム人女性が接待する「カラオケ」(日本でいうところのキャバクラ)も増えた。ベトナムでは昼間の暑さから気温が下がる夜に路地裏で子どもたちが遊ぶ光景がよく見られるが、数は少ないながらもレタントンでも同じこと。そのそばで「夜の蝶」である女性たちが客引きしたり闊歩する光景は、大変ふしぎなものである。

ベトナムらしい電線。左隅に写真撮影中の、日本の制服を模したベトナム人コスプレイヤーがいる。

日が暮れると「夜の街」の存在感が浮かび上がる。

Facebookに話を戻すと、これによって口コミの波及効果が強まったばかりでなく、あらゆる壁を超えて日本人同士が交わるようにもなった。同じベトナム在住者でも、年齢、出身、性別、働き方、明らかに属性が違うとなかなか接点が見つからないものである。しかし、馬が合ったり、また趣味などの内面性での接点が見つかれば、そのような壁をヒョイッと越えて友人関係が築ける。

シビアな話、収入が違えば遊び方も違ってくるかもしれないが、今や日本人向けの娯楽が増え、またベトナム人向け娯楽も日本人のブログなどで情報が広がることで、それらもフラットになりつつある。海外日本人社会にありがちだったヒエラルキーは今、急速にその影を潜めつつあるのだ。

だが、光あれば影もあり。だれそれが、喧嘩しただの、不倫しただの、実はああだのこうだの、あることないことも広まりやすくなったといえるだろう。便利になるとともに、窮屈にもなった。

今では、地元のベトナム人もいっしょに日本街として盛り上げようとしている様子がうかがえる。

 

「住む」のではなく「寄る」、第二の日本人街・ファンビッチャン

ここまでレタントンを紹介したが、2年ほど前から「第二の日本人街」が形成されている。それがファンビッチャン(Pham Viet Chanh)通り。たまたまここに住んでいたことがあるのだが、当時(2012~2013年中頃)は老舗の日本食店が一軒あるだけで、日本人街と呼べる雰囲気はまるでなかった。自分でバイクを運転できるなら中心地へ行くにも便利で、家賃も数段下がるため、現地に住み慣れた日本人にとっては都合の良い居住区、くらいの位置づけだったのだ。しかし今考えてみれば、その環境こそが第二の日本人街になりうる可能性を示唆していたのかもしれない。

ファンビッチャン通りの一角。点々と日本食店がつづく。

レタントンが数は減りこそすれど、今もなお昔ながらの日本食全般を扱う店が多い状況に対して、新興勢であるファンビッチャンにはメニューを特化させたこだわり派の店が多い印象だ。お好み焼き、水炊き、創作料理、など……。いくらか日本人が住んでいるとはいっても、レタントンに比べれば小規模。そのことを承知でここにお店を開く時点で、仕事帰りに立ち寄るというよりは、おいしいものを食べるためなら多少遠くともやってくるという客層が中心なのかもしれない。

このように本格的な板前さんがいる寿司屋もある。

そして、前述の配車アプリによる行動範囲の拡大により、これまで存在していたファンビッチャンに住むハードルもたちまち下がってきている。それだけでなく、さらに郊外へ、といってもまだまだ中心地だが、車でものの数分走った先は高層アパート建設ラッシュの真っ只中。下世話な言い方をすれば、「お金持ちの通勤ルート」になりつつある(同時に渋滞も悪化しているが)。レタントンが「住む日本人街」なら、ファンビッチャンは「寄る日本人街」として頭角を現しているのだ。

ベトナム人板前が経営する屋台寿司。

時期としてはほぼ同じだったと記憶しているが、ふしぎとそれら日系店舗とともに、ベトナム人が経営する日本食店もぽつりぽつりと増えていった。上の写真の寿司屋はコストパフォーマンスが高く、徒歩圏内だったので通っていたが、繁盛ぶりにつづけとローカルの日本食店が乱立。ひとつの店が当たれば、周辺には類似店が建ち並びいつの間にか「専門街」化する。ベトナムでよく見る傾向。そうしてファンビッチャンは、第二の日本人街になっていったのだ。

ファンビッチャン通りの鉄板焼き専門店・「はじめ」にて、日本酒を楽しむ日本人のみなさん。

ハノイには、ホーチミン市のように一箇所に集約された日本人街は存在しないが、日本食店が散見される場所としてはキムマー(Kim Ma)通りが有名だ。これは完全に仮説だが、もしかしたら、碁盤の目のように区画整理されたホーチミン市に対して、街の至るところに湖があるゆえに、小路が毛細血管のように張り巡らされた地形から街が形成されづらいという背景があるのかもしれない。


ホーチミン市のレタントン通りに対して、


ハノイはこのように小路が張り巡らされている。

 

土着化した中国人街と広がる韓国人街、日本人街の未来は?

ベトナムの日本人街、「ホーチミン市のレタントン通り」を中心に紹介した。

最後に、余談だが、ホーチミン市では5・6区が中国人街、7区が韓国人街として知られている

中華街「チョロン」の台所、ビンタイ市場。しかし現在は改装中で、この姿にはもうお目にかかれない。

前者はいわゆる華僑が築き上げた、今や歴史ある「中華街」と呼んだ方が正しく、住人も土着化した華人が中心だ。後者は新興住宅地として近年開発された高層ビル街であり、建設に多くの韓国企業が関わっていることもその住人の傾向に影響を与えているのかもしれない。1区もふくめた市内中心部と比べても洗練された都会的な街並みであり、このため日本人のファミリー層も多く住んでいる。このいずれも規模としてはレタントンの日本人街よりも明らかに広い。タイなどのバンコク中心地なら日本人をどこでも見かける場所と違って、ベトナムの日本人街は局所的だ。

そして今もなお、ホーチミン市、いやベトナムには日本人が増えつづけているという。私が移住した頃は27歳で、周りを見てもほとんど自分が最年少のようなものだったが、今では二十歳くらいの人もそれほど珍しくなくなってきた。なにか社会的にネガティブな出来事でもない限り、日本人が増え、サービスが充実して便利になり、さらにまた増えつづけるのではないだろうか。

この国で日本人街が広まることを望んでいる訳でもなんでもないが、海外在住日本人が増えることは、仲間が増えるようでうれしい。第二の日本人街・ファンビッチャンが形成されたように、もしかしたらベトナムの日本人街は今後、あらゆるところに点在しながら形成されるのかもしれない。

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この記事を書いた人

ネルソン水嶋

ネルソン水嶋

ブロガー、ライター、編集者。2011年のベトナム移住をきっかけにはじめた現地生活を綴るブログ『べとまる』から『ライブドアブログ奨学金』『デイリーポータルZ新人賞』などを受賞を契機に、ライターに。2017年11月の立ち上げから2019年12月末まで、海外ZINEの編集長を務める。/べとまるTwitterFacebooknote

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