海外の日本人街まとめ:古き良きリトルトーキョーの東洋人街化と、アジア各地の新興街。

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2018年10月は『海外の日本人街』にまつわる話をお届けしました。中国、ブラジル、韓国、アメリカ、タイ、ボリビア、ドイツ、ベトナム、各国の文化を通して見えてくる価値観はなに? 振り返ります。

海外には130万人の日本人が住んでいるといいますが、日系人も合わせると500万人ともいう話も。世界各地の日本人街はそのまま日系人の歴史をあらわすことも多く、とくに欧米諸国は一世紀以上前からある街があちこちと。日本における中華街を想像すると近いでしょうか、観光地としても開かれています。一方で、タイやベトナムではバブル期以降に形成された新興街の向きがあり、日系人も少なく、現代日本の縮図化しているとか。前者では今、大抵の街で「東洋人街」化が進んでいるという話が印象的でした。

 

中国最大! 上海の新旧日本人街「虹橋・古北」「虹口」を歩く

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-china

ライター:海辺暁子

上海は、日系企業の数は海外で第1位、在留邦人の数は海外第5位と、世界でも在住日本人が多い都市のひとつです。中国在住日本人の半数近くとなる約6万人が上海都市圏に集まっているため、日本人コミュニティも発達して…

週末の深夜には道端で寝ている日本人の酔っ払いが数多く観測される場所でもあります。こうして日本と同じように酔っ払って振る舞える場所も、海外においてそう多くはないでしょう。

中国製のバーモントカレーには、中国人が好む香辛料「八角」が入っているのです。この八角を苦手とする日本人が多いため、輸入品は高くても売れるとのこと。

 

消えゆくブラジルの日本人街・リベルダージ、移民110年の足跡

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-brazil

ライター:大浦智子

日系人が最も集中するのがサンパウロ州であり、州都・サンパウロ市。とりわけ、現在は中国人も増加して東洋人街とは言われるものの、20年以上前まではれっきとした日本人街と認知され…

飲食店に関していえば、ブラジル人は味がよければ店舗が少々貧相な雰囲気でもOKという事がなく、肝心の食事の中身よりもまずは外観のきれいさや豪華さで店に入るかを判断する人が多い。

日本人移民が一生懸命働き、そして子供を教育し、二世以降の子孫がブラジルにおいて様々な分野で社会的地位を得るようになると、地元で商売をする日本人は一人二人と徐々に表通りから姿を消していった。

店内には日本国内で発行された出版物が並んである

 

破壊か再生か、今見直される韓国の戦前日本建築群。

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-korea

ライター:吉村剛史

韓国では日本統治時代(1910~1945)のことを「日帝時代(일제시대、イルチェシデ)」、または「日帝強占期(일제강점기、イルチェカムジョンギ)」と呼んでいます。「植民地時代」などと呼ばれることを嫌う人も多いのです。

こちらは旧ソウル駅舎なのですが、東京駅に非常によく似ています。1925年に東京帝国大学教授の塚本靖による設計で建てられた駅舎で、2003年までソウルの玄関口として使われ、現在は隣に新駅舎を建て…

老朽化してもなお現代にまで残った日本家屋ですが、ついに改修されて保存されるという流れになったのは何よりも、韓国が経済発展を遂げ、文化財の保存にも予算が回るようになった、ということが大きいのではないでしょうか。

 

アメリカ最大の日本人街・LAのリトルトーキョー、「郷愁」と「流行」の顔を持つ街。

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-usa-la

ライター:岡村ゆか

ロサンゼルスのリトルトーキョーの始まりは、さかのぼること130年以上も前。1886年にチャールズ・カメこと茂田浜之助が、日本食レストランをオープンしたことをきっかけに、その周辺に日本人移民が集まるように…

第二次世界大戦中の1942年、政府の収監政策により日系アメリカ人が強制収容され、一時リトルトーキョーもゴーストタウン化。終戦にとともに、解放された日系人の一部が街へもどり…

現代のリトルトーキョーは、日本人が暮らす街というよりも、日本の食や文化を楽しむために遊びに行く場所といった位置付け。そこを訪れる人も、普段は日本人よりも、そうではない人種のほうが圧倒的に多く見られます。

なんともノスタルジックな雰囲気の、ホテルのエントランス。

 

バンコクの日本人街はバンコクか? 巨大日系社会その光と闇

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-thailand

ライター:高田胤臣/ずんこ

バンコクは日本国以外で日本人密度が最も高いのではないか。しかも、ほとんどの人がスカイトレイン(以下BTS)の沿線、とくにアソークから東側の数駅のエリアに集中して今も日本人が多く住んでいる。

今やこちらの和食店は東京で食べるよりも高く、ちょっと飲みに行けばひとり1万円くらい、つまり3000バーツくらいはかかる。2000年のころに食事にそれだけ出すなんて、絶対考えられないことだった。

この中には犯罪のトラブルも多く、傷害で捕まる、麻薬で逮捕される、日本人が日本人を騙す、そして自殺をする、などがある。特に日本人同士での詐欺と自殺は多く、これは日本人社会のしがらみなどが強く…

BTSプロンポン駅周辺などは、タイ人向けの店でさえも日本語が見られる。

 

ボリビアの街・サンフアンで継がれる「日本」、その過酷な背景と功績。

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-bolivia

ライター:ネルソン水嶋

当時はとにかく人口が多く、終戦とともに帰国した人たちへ住む場所を確保してあげることができませんでした。そこで日本政府がとった方法が移民政策。ペルー、ブラジル、ボリビアといった南米諸国に打診して…

「新天地だ」と、良いように語ったところで、国を親にたとえれば子の間引きという側面は否定できない。実際に、移民のひとびとの間では、自らにとられた政策のことを「棄民」と呼んで揶揄していたとのこと。

ブラジルにおいて戦前から移り住んだ日本人移民は、国に多くの農作物を伝えて「農業の神様」と呼ばれた。その後も、熱心な教育によって次世代の活躍につながり、現在までの日系人の社会的地位を築いている。

日本食店もあります。

 

“日本人はデュッセルドルフの一部です”…日独の蜜月関係が生んだ街

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-germany

ライター:坪井由美子

デュッセルドルフ市をして「日本人はデュッセルドルフの一部です。」と言わしめ、観光局の広告にも使われるほど親しまれている日本人街。

この街には、マンガやアニメをきっかけに日本に興味を持つ若者たちも大勢やってきます。市内にあるハインリッヒ・ハイネ大学にはドイツ最大規模の「現代日本研究所」なるものが置かれ、約500名の学生が…

海外にいながらにして日本とほぼ変わらない生活ができるデュッセルドルフは、駐在員の間で「世界で一番赴任したい街」ともいわれているそうです。駐在員の奥様達、いわゆる駐妻の皆さんも同じ思いで…

日系書店は3店ほどあり。書籍のほか文具や雑貨も販売されてます。

 

ベトナムの日本人街の「路地裏街」化、SNS解禁が拓いた新時代。

https://traveloco.jp/kaigaizine/japantown-vietnam

ライター:ネルソン水嶋

レタントンは15世紀に在位していた皇帝の名前なのだが、よもやその当人も、死後500年も経ってから自身の名前が「日本人街」という意味で呼ばれるとは思わなかっただろう。

生活スタイルはさまざまなので一概には言えないものの、配車アプリの普及で外国人の行動範囲が広がっている今、「日本人街=日本人向けの飲食市場」とは言い切れなくなってきているのだ。

今や日本人向けの娯楽が増え、またベトナム人向け娯楽も日本人のブログなどで情報が広がることで、それらもフラットになりつつある。海外日本人社会にありがちだったヒエラルキーは今、急速にその影を潜めつつあるのだ。

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この記事を書いた人

ネルソン水嶋

ネルソン水嶋

ブロガー、ライター、編集者。2011年のベトナム移住をきっかけにはじめた現地生活を綴るブログ『べとまる』から『ライブドアブログ奨学金』『デイリーポータルZ新人賞』などを受賞を契機に、ライターに。2017年11月の立ち上げから2019年12月末まで、海外ZINEの編集長を務める。/べとまるTwitterFacebooknote

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