中国最大! 上海の新旧日本人街「虹橋・古北」「虹口」を歩く

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※本記事は特集『海外の日本人街』、中国・上海からお送りします。

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上海は海外で「5番目」に日本人が多い都市

上海は、日系企業の数は海外で第1位、在留邦人の数は海外第5位と、世界でも在住日本人が多い都市のひとつです。中国在住日本人の半数近くとなる約6万人が上海都市圏に集まっているため、日本人コミュニティも発達しています(※平成30年発表海外在留邦人数調査統計より)。

中でも、上海市の西「虹橋・古北(ホンチャオ・グーベイ)エリア」は市内における日本人街と言ってもいいでしょう

日本領事館がこのエリアにあり、上海虹橋空港という空の玄関も近いため、日系企業やそこで働く日本人も多く、日本食レストランや、日本人向けの個人経営の食堂、スーパー、カフェ、カラオケ(後述します)などの環境が充実しているのです。

ここに在上海日本国領事館が虹橋地区に移転してたのは1998年6月。そのころから徐々に日本人駐在員が集まり始め、業務量の増加から2004年には敷地内に新館を増設するほどまでに。そのまま日本人は増えつづけ、それに伴って日本料理を提供する店や日系のスーパーもでき始めました。

赤い円の中が特に日本人向けのお店が充実しているエリアで、半径800m~1kmほどに及びます。メインとなるのは、東西に伸びる仙霞路(センシャールー)と南北に伸びる婁山関路(ロウシャングアンルー)。この界隈では特に日本語の看板を多く見かけます。

この看板はまさかの「日本語オンリー」。ここは中国です。

エリア内の北側には地下鉄2号線が、南側には10号線が通っているものの、駅から歩くと20分以上かかるためバスを使う必要があったりと、交通の便がいいとは言えません。今回の取材は数日に分けたのですがいずれも暑く、シェアサイクルとバスを駆使したものの、汗だくになりなかなか辛いものでした。

しかし、交通以外は便利であるがゆえ、それでもこの界隈に住みたいと思う日本人は多いのです

 

日本人街のメイン通りをぶら~っと歩いてみた

そんな上海随一の日本人街、虹橋・古北エリア。実際のところどんな場所なのか、ぶら~っと歩いてみてご覧に入れたいと思います。

虹橋・古北の日本食店のターゲットは日本人中心

エリアの南側にある交通拠点、地下鉄10号線の伊梨路(イーリールー)駅で下車して地上に上がると、すぐ目の前には高島屋百貨店があります。日本のデパートらしく、日本のブランドショップが豊富に揃い、地下の食品街にも兵庫の老舗パン屋さん「DONQ」や、そのほかにも日本食材を多数扱うスーパーが入っています。

ここから婁山関路(ロウシャングアンルー)を北上していくと、湾曲したビル「新世紀広場」が右手に見えます。

この上層階はオフィスで、1~2階には、蕎麦屋、ちゃんこ鍋店、とんかつ屋、ハンバーグ屋など、日本人好みの飲食店が多数。ちなみに中国人はハンバーグをふくめいわゆる「洋食」にふれる機会が少ないので、いかにターゲットを日本人に絞っているかということがうかがえます。

ところで、ビルに「広場」という名前が付いているとは不思議ではありませんか? 実は、同じ「広場」という言葉でも、中国と日本のそれは微妙に意味が異なります。

在住日本人にもお馴染みの場所「広場」たち

現地では、ショッピングモールやビルに「広場」と名付けられることが多くあります。どこのエリアでもランドマークとして分かりやすいため、在住日本人の間でも遊びや飲みに行くときの集合場所としてしばしば指定されることが多いのです。

左上から時計回りに「新世紀広場」「嘉顿広場(通称オバマ広場)」「太陽広場」「万科広場」。いずれも上海在住日本人にはおなじみの「広場」です。

初めは「なんだか変なの……」と思っていましたが、「広場」の英語はスクエア、スペイン語はプラザ。思い返せば、日本にも「○○スクエア」や「○○プラザ」という名前のビルやモールは結構あるので全然変ではなかった、という話でした。

日本人からすると、太陽広場、新世紀広場ではなく、サンプラザ、ニューセンチュリースクエアなどと横文字にしたほうがしっくりくるのがなんとも面白いですね。

日本人街には「夜のお店」のメッカもあり

婁山関路をさらに北上すると仙霞路(センシャールー)。ここは、居酒屋、カラオケ、バーなどのお店が集まる、いわゆる「夜のお店」のメッカ。

なぜカラオケが? とお思いでしょうか。実は中国でカラオケは2種類あります。ひとつはいわゆる日本のカラオケボックスと同じもの。そしてもうひとつは日本で言うキャバクラと同じシステムのもので、主に「KTV(カラオケテレビ)」と言われます。なお、この「カラオケ」は、アジアを中心にほかの国でも同じ意味で使われることがあるそうです。

どちらも同じ呼称なので戸惑いますが、若者が好むのは前者、おじさんは後者、という個人的な見解を持っています。そういったお店が多いため、週末の深夜には道端で寝ている日本人の酔っ払いが数多く観測される場所でもあります。こうして日本と同じように酔っ払って振る舞える場所も、海外においてそう多くはないでしょう。

このあたりは焼肉店も多い。レタスにくるんでコチュジャンをつける韓国式ではなく、焼いてからタレにつけて食べる日本式の焼肉は、実は中国人にも人気があるのです。

こちらの居酒屋は店名が「一菜合彩(イッサイガッサイ)」、さすが在住日本人が多い上海。海外の日本料理店にありがちな「横綱」や「源氏」などの定番ではなく、店名の捻り方においてもレベルが高い気がします

 

存在感際立つARCHWALK、一歩踏み込めばほぼ日本。

有名日系チェーンがひしめくデパート

さらに北上して、エリアの北端にある地下鉄の婁山関路駅に到着すると、巨大なショッピングモール「ARCHWARK」(中国語では金虹橋商場)がどんと構えています。

やはり全体的に日本人好みのショップが多いのですが、中でも人気なのが日系のスーパーマーケット「APITA(アピタ)」。その存在感が大きすぎるため、このショッピングモールは多くの日本人から「ARCHWARK」ではなく「アピタ」と呼ばれています

全く日系ではないが、なんとなく日本人好みの雰囲気を醸し出している雑貨店もある。ここを訪れる多くの中国人は日系のお店だと思っていることでしょう。

おなじみの「しまむら」もあります。中国語では「飾夢楽(シーメンルー)」。「島村(ダオツン)」ではなく音の響きを重視した結果の中国語表記なのですね。

コメダコーヒーやモスバーガー、もんじゃ焼き店、ラーメンの大勝軒など日本人にはうれしいラインナップ。これまで紹介したものとは違い、大型デパートなだけにチェーン店が目立ちます。日本人だけでなく中国人にも人気があり、いつ行っても盛況です。

もはや母屋を乗っ取った? 日系スーパー「APITA」

そしてやはり一番人気の食品売り場、呼び名で母屋を乗っ取った状態の「APITA」!

上海の大型スーパーであれば日本の食品を見かけることは珍しくありませんが、やはり品揃えが違います。中国ではあまり重視されない惣菜コーナーがかなりのスペースをとっていたり、寿司のコーナーなどは日本の地元にあるスーパーよりも充実しているほど。

左上の写真は「日本に帰るときに中国のお土産として持っていくといいよー」のコーナー。ご当地プリッツや白い恋人に似せたお菓子など、これまた日本人が喜びそうなラインナップがしっかりと押さえられています。

中国での日本製品の価格は「二極化」する

さて、気になるのはお値段。実は、こちらのスーパーにある日本製品は高いものと安いものの二極化しています。簡単な話、こちらに工場があり生産がされているものは安く、完全な輸入品は関税が掛けられるため高いのです

お茶コーナー。中国に工場を持っている伊藤園のウーロン茶や「おーいお茶」は4~6元(約70円~100円)と、日本よりもむしろ安いくらいです。

ビールも同じで、アサヒ、キリン、サントリーなど国内に工場があるメーカー製品は、日本よりも少し安く購入できます。ちなみにスーパードライの350ml缶は6.2元(約108円)、キリン一番絞りの500ml缶で11元(約190円)でした。個人的には、お茶もビールも日本で買うものと味は変わりません。

ちょっと面白いのは、ハウスバーモントカレー。写真左は輸入品で、1箱36.5元(約640円)とお高い。右は中国の工場で作られたもので、大きさは一回り小さいものの、11.8元(約205円)となんと約3分の1の安さです。これなら当然、国内品を買いますよね。

それでも輸入品が置いてある理由はその原材料の違いから。中国製のバーモントカレーには、中国人が好む香辛料「八角」が入っているのです。この八角を苦手とする日本人が多いため、輸入品は高くても売れるとのこと。

日本の多くの化粧品メーカーが中国に進出しています。日本よりは少し高いですが、「ここは日本か」と見紛うほどの品揃えです。

このように、日系製品メーカーの工場が多く進出している中国では、現地の日本食材や食品が比較的お手ごろ価格で購入でき、さらに日本人が多い上海では品揃えも豊富であるため、非常に恵まれていると言えるでしょうね。

 

虹口地区で旧日本人街の面影を巡る

上海の日本人街を紹介しましたが、これはあくまで現代の話。実は、戦前の上海には、「虹橋・古北地区」ではない全く別の場所に日本人街があったのです。

それが、上海の中心から少し北にある「虹口エリア」。1872年、日本領事館がこの地に開館したことをきっかけに日本人が集まり始め、ピーク時には10万人も暮らしていたとか

戦前ということもあり、残念ながら当時の様子が分かる資料は見つけられませんでしたが、日本家屋と日本食のお店が建ち並び、日本人が着物を着て羽子板で遊んでいた、なんていう情報もありました(参考:アジア写真帳)。その光景は、太平洋戦争の終戦まで続きます。

こちらは虹口地区にある多倫路(ドゥオルンルー)。高層ビルや新しいショッピングモールが建ち並ぶ虹橋・古北地区とは、打って変わってしっとりと落ち着いた雰囲気です。1930年代に建てられた趣きのある洋館が並んでいます。

右手に見える建物は、留学経験もあり、日本と非常にゆかりが深い作家である魯迅が晩年に暮らしていた家。上海に戻ったあとも、現地に住む日本人と関わりを持ちつづけたということなのでしょう。内部の写真は撮ることができませんが、見学をすることができ、魯迅が使用していたの家具も当時のままで保存されています。

また、ここから徒歩10分ほどの場所には、魯迅の友人の内山完造が営んでいた「内山書店」の跡地もあるなど、虹口地区ではかつての日本人街の面影を巡ることが出来るのです。

そして、この何の変哲もない看板とその奥の路地。ここ余慶坊は詩人である金子光晴が上海で暮らした住宅地で、著書『どくろ杯』にも登場します。

余慶坊から程近い場所にある「東横浜路」、近くには「横浜橋」も。旧日本人街にあるため、もしや? と思いましたが、日本の横浜とは関係がないそう。少し前までは床屋や商店など昭和の日本を思わせる風景を見ることができたのですが、建物は今や写真のように解体され、どんどんと景観が変わってしまっています。

 

上海日本人コミュニティの今と昔の共通点と違い

「虹橋・古北エリア」と「虹口エリア」。雰囲気は全く違いますが、どちらも現在と過去に多くの日本人が暮らしてきました。実際巡ってみたことで、100年の時を経て日本人が集まる場所の共通点として、まずは日本国領事館、そして日本食のお店。この2つがある場所に日本人が集まっているように思います。

しかし、現代の日本人街「虹橋・古北エリア」に日本食店は数あれど、その経営は簡単ではないようで、またたく間に開店しては閉店していくものです。

長く住む日本人の話によると「今の上海では日本人だけを相手にしていると続かない」とのこと。日本人が多いとはいえ、ここは中国。いつか帰ってしまう人だけでなく、地元に溶け込み中国人をも巻き込まない限りはうまくいかないと。

中国人は、知人・友人・家族との関係を何よりも大切にするため、一度店をひいきにしてもらえれば、長いお付き合いができることが多い、とも聞きます。思えば、日系スーパーのアピタには日本人好みのラインナップである一方で、地元っ子に人気のドリンク店やブランド店もあります。日本人の姿が多いとはいえ、言うまでもなく中国のシェアは中国人が圧倒的。地元とのバランスをとりながら、うまくやっているのが現代における上海の日本人街という印象です。

中国人にも人気のお食事居酒屋「平成屋」は中国人がイメージする日本の雰囲気

日本に住んでいた時は「海外の日本人街」と聞くと閉鎖的なコミュニティを思い浮かべていましたが、実際はもっと明るく、積極的に現地に溶け込んでいるものでした。そもそも「そうしなければビジネスとして成功しない」というのも中国らしいところ。中国らしさの中で形成される日本人街、グローバルな現代社会を垣間見た気がします。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

海辺 暁子

海辺 暁子

2016年より上海在住。日本にいるときから典型的なO型と言われ続けてきましたが、こちらにきてさらにO型っぷりに磨きがかかりました。色々なことが自由なので体重も順調に増してます。中国の家庭料理「宮保鶏丁」が好きすぎて、大量に作って冷蔵庫にストックするのが幸せ。

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