勇気を示す赤い花! アルゼンチンの国花がセイボになるまで「32年」もかかった理由

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※本記事は特集『海外の国花』、アルゼンチンからお送りします。

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真っ赤な花が美しい、陽気な国の夏を彩るセイボ

こんにちは、奥川です。

早速ですが、ついに見つけました! これがアルゼンチンの国花セイボです! 真っ赤な花は情熱のアルゼンチンタンゴを思い出させますね。それにしても、ここまで来るのに苦労しました……。

国花というと至る所にありそうですが、セイボは湿気のある地域を好みます。僕の住むネウケン州はパタゴニアの一帯に属し、年中乾燥しているため、探しても探しても見つからず。アルゼンチン人嫁や友人たちに聞いても、セイボを見たことがなければ、そもそも国花だと知らなかったなどと言うばかり。

炎天下の中、町中を歩き回るのも疲れたし、もうセイボは諦めようと思ったところ嫁の祖父がやってきました。

祖父

ほら、これやるよ

奥川

何この黒い枝豆みたいなの?


祖父

セイボの種だよ。探してるんだろ

奥川

!!?? どこに(花が)あるの!?

 

セイボはマメ科の木。だから種も豆みたいなんですね。

ちなみに、濡らした脱脂綿を詰めた瓶の中に種を数日間放置してると発芽しました。大きくなるまで何年かかるか分かりませんが、とりあえずマイ・セイボGETです。

というわけで、セイボを発見できたのです。まさか自宅から徒歩10分のところにあるとは……

移住3年目にして初めて見る国花セイボは感動的でした。アルゼンチンの園芸店で働いていたことがあるのですが、これほどまでに美しい赤色の花は見たことありません。アルゼンチンに23年も住んでいるくせに、初めて生のセイボを見たという嫁も感動しているようでした。

セイボの高さは8mほどで、夏ごろ(アルゼンチンの11月から4月)に真っ赤な花を開花させます。暖かく湿度の高い環境を好むため、水辺に生えることが多いようです。

僕の周りにいるアルゼンチン人でセイボについて知っている人は多くありませんでした。しかし、首都であるブエノスアイレスのような、セイボの生息地域である州のひとびと、もしくは中高年に聞き込みをするとセイボの認知率は上がるでしょう。

 

苦節「32」年! 国花認定は国民投票で決まった

セイボが国花に決まるまでは非常に長い道のりでした。初めに国花を決める運動が起きたのは1910年、それから決まったのは1942年のこと。実に32年もの年月が国花制定に費やされたのです。

1910年はアルゼンチンにとって重要な年。1810年に起きた五月革命(アルゼンチン独立戦争の発端となる運動)の100周年でした。この節目の年に、国内の著名な科学者や植物学者で構成される団体が、政府にトケイソウ(上記写真)を国花にしようと提案したのです。しかし、理由は不明ながら、提案はあえなく却下されることに。

1928年、2度目となる国花制定の試みが行われます。大手乳製品会社と8,000名の参加者がマグノリア(上記写真)を国花にしようと提案。しかしこれもまた、自然史博物館の館長Dr. Juradoによって却下されます。理由は、マグノリアはアルゼンチン原産の花ではないから

国花選びが難航する中、1930年に大手新聞社La Razonが2万人以上を対象とした調査を実施します。その結果、国民人気の最も高い花がセイボだと判明したのです。ほかの候補としてあった、イペやハカランダといった人気の花々に大差をつけたそうです。

そして1941年、著名な科学者などから構成される特別委員会が設置され、La Razonの調査結果やセイボとアルゼンチンの関係などを踏まえ、委員会は正式にセイボを国花にすると発表。それを受けて翌年、当時の大統領ラモン・カスティーヨがセイボを国花と制定したのです。

 

セイボと先住民にまつわる、ある「伝説」

© FrankOweaver

実は、国花制定に影響を与えたかもしれない先住民が存在します。

それはグアラニー族、アルゼンチン北部(サルタ州やフフイ州)やパラグアイ、ボリビアなどの中南米諸国に住むひとびとです。ガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)やマテ茶を飲む習慣は、グアラニー族由来のものだと考えられているほど、中南米に大きな影響を与えました。

アルゼンチンの朝食は壺を家族や仲間と回し飲み、絆を深めるマテ茶とは?

グアラニー族には、セイボにまつわるある伝説があります。

グアラニー族とは異なる先住民マプチェの絵。マプチェ族はアルゼンチンとチリに住んでいます。

時ははるか昔。主人公はグアラニー族首長の一人娘アナイ。夏の晩になると、グアラニー族は神と母なる大地を称える歌を歌います。アナイはその甘美な歌声で人々を惹きつけたそうです。

ある日、スペインから侵略者達がやってきました。首長は土地を守るために戦いましたが、あっけなく殺されてしまいます。父親の死後、アナイは勇敢に指揮をとりましたが、スペイン人たちには敵いません。アナイは捕らわれの身となり、棒に縛りつけられました。

しかしアナイは何とか棒から脱出し、見張りの兵士を殺したのです。兵士の苦痛に満ちた叫び声が響き渡り、異常を察した兵士たちがアナイの後を追います。命からがら走り、森の中に身を隠しますが、アナイは再びスペイン人に捕らわれてしまうのです。スペイン人たちは見せしめにアナイを殺すことにしました。

木に縛りつけられたアナイの足元に火がつけられると、彼女は美しい声であの讃美歌を歌い始めます。静かな森の中で聞こえるのはアナイの歌声だけ。彼女は燃える炎の中で死んでいったのです。

翌日アナイが死んだ場所に、今までに見たことのない真っ赤な花が咲いていました。まるでアナイを燃やした炎のような赤、その花こそがセイボです。人々はアナイの美しい茶色の身体がセイボに変わったのだと信じました。それ以来グアラニー族は、セイボの花にアナイの魂が宿ると信じるようになったのです。

この伝説から、セイボは「勇気」と「困難に立ち向かう強さ」のシンボルとなりました。アルゼンチン全土で見られるセイボ、人々は力強さを感じる赤い花びらを見て、無意識に勇気づけられているのかもしれません。

 

歯ブラシにも太鼓にもなる!? アルゼンチンの生活に根付く花

セイボはさまざまな用途で使われるようです。真っ赤な花はウールや綿の染色に、そして乾かした樹皮はかつて歯ブラシとして使われていたとのこと。確かに触ってみると、樹皮は柔らかい。古代インドでは、歯木(しぼく)と呼ばれる木の枝を使って歯を磨いていたそう。昔のグアラニー族も、セイボの樹皮を噛んで歯磨きを行っていたのかもしれません。

© Ezarate

またセイボの木はボンボ(太鼓)の素材にもなります。ボンボはアルゼンチンの民謡音楽に欠かせない楽器で、皮の部分には動物の生皮、胴の部分にはセイボが使われることが多いのです。ボンボを使った音楽で有名なものが「Malambo」。これは1600年ごろに誕生したガウチョのタップダンス。男性がブーツを履いて優雅に踊る姿は、とてもセクシーですよ。

アルゼンチン人に「Malamboを見たい」と言ってみてください。高確率でアメリカ合衆国の人気番組”America’s Got Talent”を見せられるはず。僕も嫁や彼女の親戚、友人などに何度も何度も見せられました。番組では、アルゼンチン男性グループが「Malambo」を披露しています。世界で絶賛された彼らのパフォーマンスは、アルゼンチン人の自慢なのです

パフォーマンスは現代風にアレンジが加えられたものですが、それでも足の高速ステップは見事としか言いようがありません。そして、動画の男性たちが持っている太鼓こそがボンボであり、セイボの木でつくられている可能性が高いです。

伝統的なMalamboはこちら。ガウチョの格好をして、髭を蓄えた男たちが優雅な踊りを披露しています。

情熱の赤を象徴するかのようなセイボは、アルゼンチン人の精神や生活に深く関わっています。首都ブエノスアイレスは高温多湿なので、立派なセイボが街中に数多くありますよ。天気が良い場所ではありませんが、どんよりとした曇り空とセイボのコントラストもまた美しい。観光で訪れた際には、ぜひ真っ赤な花が咲き乱れるセイボを見てみてください。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

奥川 駿平

奥川 駿平

1992年生まれ、福岡県古賀市育ち。アルゼンチン在住歴3年。美人アルゼンチン人嫁と結婚するために、新卒という大きすぎるブランドを捨ててアルゼンチンに移住。毎日マテ茶を飲むほどのマテ茶好きで、同世代で最もマテ茶を消費していると自称。今さらながら、Twitterにドはまりしています。

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