オルチャンファッションのルーツとは? 流通に見る韓国のソウル中心社会

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日本などアジアを中心に若者に人気の韓国ファッション

10~20代のオンラインファッションブランドとして、韓国国内はもちろん国際的にも成功している『STYLE NANDA(スタイルナンダ)』。2005年に現CEOのキム・ソヒ代表が、ソウル・東大門(トンデムン、동대문)の服飾市場で仕入れたファッションアイテムをウェブ上で販売したことが始まり。

スタイルナンダ(左・ソウル明洞、右・原宿竹下通りの店舗)

今は韓国国内はもちろん、香港、タイ、シンガポール、さらには日本にもショップを展開。2018年には創業者を代表に据え置いたまま、フランスの化粧品メーカー、ロレアルの傘下となったことでも話題になりました。

そんなSTYLE NANDAに代表されるように、IT大国ともいわれる韓国ではいち早くインターネットを活用したファッション通販サイトが増え、雨後の筍のように新しいブランドが登場。韓国の元モデルのほか、日本人バイヤーまでもが韓国のファッションに注目し、こうしたショップやブランドを立ち上げるケースも多々あります。

 

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こうした韓国発のファッションがアジアを中心とする10~20代に受け入れられていることはひとつのムーブメントだといえますし、日本でも「オルチャンファッション」として中高生の服装にも影響を与えています。

韓国の流行を取り入れた日本のプリントシール機「ケイティ サランヘ」

もちろん韓国国内でみれば、こうしたジャンル以外でも国内ブランドはよく着られていますし、ファストファッションでいえばSPAO、8SECONDSといった韓国発ブランドがあったりもします。またユニクロやZARAのような海外のファストファッションブランドも多くの消費者から人気を集めています。

明洞の街並みと、韓国発ファストファッションのSPAO

そのなかでも現在、日本を含めアジアで若者を中心に流行する韓国ファッションは、おもに韓国の「ノーブランド」市場(しじょう)が元になっているものです

 

国内市場のノーブランド衣類、「ポセ」とは

STYLE NANDA(スタイルナンダ)をはじめ、インターネット上の自社サイトを通して販売される商品は、国内市場では本来、「ポセ(보세、保税)」と呼ばれていたもの。この「ポセ」は、ノーブランドの衣類の代名詞としてよく使われています

街のショップで販売されている「ポセ」の衣類

韓国では街のあちこちに「ポセ」の服を扱う店があります。特にソウルの学生街や地下街にひしめき合い、お手頃価格で販売されているファッションは、この「ポセ」に分類されているもの。しかし語源通りの「保税」は、本来「関税を留保している」という意味です。

この「ポセ」とはどういうものなのでしょうか。現代における韓国の繊維産業の歴史から紐解いていきます。

 

60~70年代に輸出を牽引した繊維産業と、2000年代のグローバル化

韓国は朝鮮戦争(1950~1953)により国内は焦土と化し、世界最貧国の水準まで落ち込みます。戦争後は国内の需要を満たすために繊維産業が発展していきますが、60~70年代には国策として輸出へと切り替えて外貨を獲得してきました。外国から材料を輸入し、人件費の安い国内で製品化し、海外へと輸出する、というもの。そうした流れを経て、韓国は繊維製品が輸出の主軸となりました。

ソウルを流れる漢江。韓国は「漢江の奇跡」といわれる高度成長により発展。

この「ポセ(保税)」という言葉は、そうしたなかで生まれました。材料を輸入するときに本来かかる関税を一時的に保留にしておく制度で、製品となって輸出される際に関税をかけるというもの。しかしメーカーが資金繰りに行き詰まると輸出を待たずして、ブランドタグが付く前の商品が「ポセ」として国内に流通するようになり、その制度がなくなったあともその名前だけが残るようになりました。

その後80年代以降は中国、東南アジアの新興国が安い労働力で追い上げを図り、先進国は高価格の製品を市場に投入。2000年代になるとグローバル化が進み、韓国は差別化をして勝負する段階になるのです。(※参考資料:歴史的な流れは「韓国の繊維・アパレル産業」(2012年1月、JETRO)に詳しい)

このような経緯から考えると、今海外で受け入れられている韓国ファッションは、グローバルの流れのなか、ほかの国とはデザインで差別化を図ってきた結果が表れているものだといえるのではないでしょうか

ちなみに現在、インターネットのサイトを通して国内外へ販売される商品は、各ブランドやショップが国内外の縫製工場に直接発注をして販売するケースもあるのですが、その多くはソウル・東大門で買い付けた商品で、それはいわゆる「ポセ」がもとになっているものなのです。

 

韓国ファッションのメッカ、夜の東大門市場

ソウル・東大門は、韓国ファッションのメッカともいえる場所。東大門はソウル城郭の大門のひとつで、その付近にファッションビルや衣類や生地、靴、服飾雑貨を扱う市場が集まっており、それらを総称して「東大門市場(동대문시장、トンデムンシジャン)」とも呼びます。

東大門・ファッションビル街の夕景

東大門市場の歴史はそれほど古いものではなく、朝鮮戦争(1950~1953)期にさかのぼります。戦乱で故郷を失って逃れてきた避難民たちが、この周辺に集まってきて、東大門のすぐそばを流れる清渓川沿いにバラックを建て、商売を始めたことによります。

朝鮮戦争後、清渓川沿いに建てられたバラックの再現(清渓川文化館)。

今もこの川沿いには韓国初の衣類の総合市場となる、「平和市場(평화시장、ピョンファシジャン)」があるのですが、当時、北から逃げてきた人たちが集まって作った市場がここ。すぐ隣の昌信洞(チャンシンドン、창신동)という街には、縫製工場がひしめき合っており、韓国の繊維産業を支えてきた場所です。

韓国最初の衣類市場、平和市場(写真左)。

2000年前後から東大門にはファッションビルが次々と建つようになります。ファッションを求める観光客がこぞって訪れる小売のビル街のほか、卸売専門のビル街があります。

そのなかでも卸売専門ビルは夜になってからオープンし、深夜の時間帯に賑わうのですが、それは昼間の商いを終えたショップの店主や百貨店のバイヤーたちが、ソウル市内はもちろん韓国の各地から東大門へ買い付けに訪れるため。さらに海外からも仕入れにやってきます。実際に深夜の時間帯、東大門市場を訪れるとその様子がよくわかります。

深夜の東大門、ビルとビルの合間には働く人々が集まる。

煌々と明かりがともるなか、働く人たちがビル街を行き来しています。ビルの中も外もビニール袋でまとめられた衣類が置かれ、卸売専門ビルの前には行先の表示とともにそれらが並べられており、韓国各地へと配送されるのです。

卸売ビルの前に並べられ、地方に配送される衣類。

東大門では韓国国内の縫製工場で作られた商品はもちろんですが、中国など海外で製造された商品も集まってきます。そこで仕入れた衣類を販売しているのは、先に述べたようなネット上のサイトだけではありません。地方の百貨店や、セレクトショップに至るまで、そのほとんどは東大門で仕入れた衣類が元になっているのです(もちろん工場に直接発注するケースや、地方の卸から購入した商品もあります。)。

 

韓国のなかでもソウルは特別な存在

こうしたファッションの流通システムによく表れていますが、多くの物品がひとまずソウルを経由します。韓国は歴史的にみても中央集権の傾向が強いため、首都・ソウルの重要度が極めて高い傾向にあり、これは朝鮮時代の主要交通路にも表れています。

地方の交通路は、漢城(現・ソウル)を向いている。

この地図を見ると、主要交通路はすべて漢城(한성、ハンソン)へ。つまり現在のソウルに向かっていることがわかります。日本の江戸時代は、江戸や大坂の二大都市、そして京都を含めて三都と呼ばれていたほか、幕藩体制によってそれぞれの藩が統治していたため比較的分散されていました。しかし、朝鮮半島はすべて都である「ソウル」が中心になっており、ヒトやモノはそちらへと流れていきます

その傾向は、現代の韓国にもよく表れています。韓国の都市や地方間の移動はバスが便利ですが、それぞれの市郡(日本でいう市町村)の中核となる、どのバスターミナルからもソウル行きのバスが出ています。

地方のバスターミナルの様子

現在も、ソウルに行くことを「ソウルへ上る(서울에 올라가다、ソウレオルラガダ)」地方に行くことを「地方へ下る(지방에 내려가다、チバンエ ネリョガダ)」といいますし、これらは非常によく使われる言い回しです。ソウルにある大学は地方の国立大やその他の大学よりも世間的にランクが高い、とされることからもこの傾向が読み取れます。

過去や現在の交通手段や、人々の意識もみなソウルに向いているため、優れたものはソウルに集まってくる傾向にあるのです。ファッションには特にそれが強く表れており、ソウル・東大門の卸売市場を経由して、地方に流れていきます。

 

オフラインではどのようなところで売られているのか?

さて、ファッションの話に戻りますが、これらの「ポセ」と呼ばれる商品は、さきほども述べたようにソウル・東大門を経て、街中のショップに流れていきます。

そのなかでも手頃な価格で購入できる場所は、ソウルの名門私立女子大学である梨大周辺や明洞といったところですが、近年はカロスキルや弘大、高速ターミナルの地下ショッピングモールといった場所に集中しています。

ソウル・梨大ファッション通り

また大邱では東城路、釜山では南浦洞や釜山大学といった場所に多くショップが集まっているのですが、釜山でショップを運営していたことのある知人に尋ねてみると、こんな話を聞けました。

服はすべて東大門で仕入れていました。中国で作られた服も多く、価格が安いこともあります。釜山や大邱にも卸売市場があるにはあるのですが、規模が小さいから種類も少ないし価格も高いんです。(元ショップ経営・30代女性)

話からもわかるように地方の繁華街のショップに並んでいる衣類の多くは、東大門を経由してきたものなのです。

 

ネットショップはK-POPアイドルとともにブランド化

韓国ファッションに対する評判は、日本でどのようなものでしょうか。「日本のメーカーに比べて縫製が雑」と言う人もいますが、プチプラファッションのようなものであれば、流行に合った服をワンシーズン着られれば良い、という人も多く、それほど質が求められてないこともあります。

それよりも日本の製品にはない色合いが好まれたり、デザイン性に優れていることから、日本で同等のデザインのものを購入するよりも安く手に入る、という見方が一般的です。

ちなみに韓国ファッションを扱うネットショップは小規模での運営が多く、経営者みずからがモデルとなって販売することもあります。そのなかでもブランド化していくショップは、K-POPアイドルや芸能人が着ることによって露出が高まり、注目を集めていきます。

世界で活躍する人気アイドルは、空港でのファッションも話題になります。これを「空港ファッション(공항패션、コンハンペッション)」というのですが、そこでどんな商品を身に着けているかも話題の的となるのです。

 

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芸能人の空港ファッション(少女時代・ソヒョン)

そしてブランドの人気や認知度が高まるにつれて、繁華街の空きスペースで期間限定の店舗を開いたり、さらに認知度が大きくなると、路面店という形で出店したりもします。近年は東京の渋谷や原宿でも、このような形で韓国ファッションのショップが開かれたりもします。

 

タイムラグなく受け入れられる韓国ファッション

インターネットを通して、海外の情報がタイムラグなく入ってくる昨今。とくに日韓は年間1000万人が相互に往来する時代であり、流行に敏感な若者たちは、よいと感じたものを素直に取り入れることで、日本でも韓国発のファッションがひとつのジャンルとして定着しつつあります。

韓国ファッションのデザイン性の良さを肌で感じるだけでももちろんよいですが、その源流にまで目を向けてみると、ソウルを中心とする韓国の社会の構造が見えてくるのです

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この記事を書いた人

吉村 剛史

吉村 剛史

東方神起やJYJと同年代の1986年生まれ。「韓国を知りたい」という思いを日々のエネルギー源とするも、韓国のオシャレなカフェには似合わず日々苦悩。ソウルや釜山も好きだが、地方巡りをライフワークとし、20代のうちに約100市郡を踏破。SNSでは「トム・ハングル」の名で旅の情報を発信。Profile / Facebook / 韓旅専科

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