タイの日本ブームは本物か? 評判を落としはじめた「思考停止」の日本人

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お互いに文化が浸透し合ったタイと日本

僕は、1998年1月に初めてタイに来た。初海外で、タイ人はみな日本人あるいは日本に憧れがあるということがよく感じられた。街を走る車は日本車が多く、家電も日本のメーカーで揃えることが彼らの夢でもあったからだ。

あれからちょうど20年。今やタイは空前の日本ブームに沸いている。2013年7月に、タイ航空の札幌路線就航によってタイで雪まつりが注目されたことを受け、日本政府がタイ人旅行者向けの短期ビザの免除に乗り出した。そのときの勢いが今もなおつづいていており、それに牽引されて和食ブームもタイ国内で発生している。地方の日本人がいないような場所にも「日本料理」を掲げた店が誕生しているほどだ。。

タイ南部ラノーン県にあった、てるてる坊主を取り込んだタイ食堂。

また、日本人にとってもタイはかなり身近な国になった。20年前はタイ料理店の数も限られていたし、テレビでタイの映像を見ることはほとんどなかった。当時は「タイに行ってきた」と言うと「台湾?」と高確率で訊き返されたものだ。それが今やテレビをふくめあらゆるメディアで「タイ」と聞かない日はないのではないかというくらいに浸透していると感じる。

タイの朝の風景。自宅の軒先に屋台を出して朝食を売る様子。

当然、タイ在住の日本人も大幅に増えた。2006年から2014年にかけては大きな政治的騒動が毎年起こり、2011年はタイに生産拠点を構える世界のハードディスクメーカーたちを震撼させる大洪水も発生した。これによって日本人が減るかと思いきや、変わらず日系企業も増加を続け、2018年時点で外務省の在留邦人統計数は7万人を超えている

これだけ日本人が多いのは、タイが親日国家であること、タイ国民もまた日本人が好きであるためだろう。日本人ということで差別を受けることは皆無であり、地元民から友好的に受け止められ、かつ暮らしやすい環境が整っている国はほかに存在するだろうか。タイは日本人にとって第二の故郷と言っても過言ではない。

タイのパスポートセンターは連日たくさんの人が申請に訪れる。

 

タイで日本人の評判を地に落とす日本人たち

タイの日本ブーム。しかし、あくまでもかつて行けなかった日本に行けることが楽しみになっているだけで、タイ国内では付随する和食などに人気に火がついているものの、『タイ人自身から沸き起こった本物の「日本ブーム」ではない』と僕は見ている。

バンコクでは日本が絡んだ大きなイベントが開催され、コスプレや和食などがフィーチャーされる。大型展示場では大きくブースを借りて日本からの企業が自社をPR。しかし、これらイベント各種は日本の外務省などがスポンサーや出展者のバックアップなどで絡んでおり、結局のところ、もてはやしているのは日本人自身だったりするのだ

飲食フェアで確保された日本ブースは、日本政府の支援もあり、他国より豪華だった。

さらには残念ながら、素行の悪い日本人が増えているのも現実だ。訪タイする日本人が増えれば、いろんな人が来ることは仕方がない。それでもタイ人に迷惑をかけなければいいのだが、よりにもよってニュースにも取り上げられてしまうケースもある。

2016年には日本の企業が社員旅行でタイのビーチを訪れ、夜に男性社員だけが集まって全裸で大騒ぎをした。それがタイ人観光客の目に留まり、ネットで炎上してしまう。普通に考えてみれば日本でもアウトな行為である。それを海外ならできるとなぜ思ったのか。

タイは敬虔な仏教徒が多い上に、服装などの感覚は元々英国の影響を受けている関係もあり、乱れた格好や汚らしい姿は好まれない。ましてや全裸を晒す行為は「悪」と見なすほどだ。

タイ人は自身の文化を大切にするだけでなく、自然を大切にする気持ちが強い。

これに限らず、夜遊びの場面でも日本人の評判はすこぶる悪い。タイのバーなどの夜のお店は売春に直結していることが多いが、そこで働く女性たちは貧困による低学歴で、親や兄弟、子どもたちをまとめて面倒を見るためには「性風俗店に従事する以外に道はない」という人も少なからずいる。良いか悪いかは別にして、夜遊びを目的にタイを訪れる日本人が落としてくれるお金で救われている世帯があることは事実だ。

いずれにしても、彼女たちも遊びで身を削っているわけではない。しかし、取材で話を聞くと、最近の日本人男性の中にはすべてが終わったあとに約束の金額を払わなかったり、値切ってくる人が異常なレベルで多いのだと怒る女性たちも多い。ほかの国でも大なり小なりなんらかのクセがあるが、金銭トラブルは特に日本人に多いようだ

かつて日本人は夜の遊び場でも評判がよかったが、日本人自身が日本人の評価を落としているのもまた事実である。

 

「遵守精神」で「思考停止」になってはいないか?

日本人は勤勉であり、決められたルールを誰が見ていなくても守ろうという「お天道様が見ている」精神がある。これは誇らしいことであり、また災害時のようになにかあったときに一致団結することができる。戦時中はこれがよくない方向に向かってしまったかもしれないが、その後日本が復興したことを考えれば、それこそが日本人の底力である。

繁華街でもバンコクのような喧騒がなく、どこか静まり返った雰囲気がある東京。

そうして、80~90年代の日本経済は世界でもトップクラスになり、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という言葉にあらわれるように、工業や商業をはじめ、あらゆる分野において自尊心を持つことができた。しかし、時代も場所も変われば、である。そんな日本人のやり方が必ずしも世界のどこでも正解だとは限らない。

たとえば、タイの自動車運転マナーはかなり悪い。だから気を抜くことは一瞬たりともないのだが、その分だけドライバーの誰もが危険時への対応が優れている。何しろ、日本なら「絶対にここで出てくることはない」という場所で車が飛び出したり、また逆走をしてくるのだ。

しかし、世界トップクラスの運転マナーである日本人は、そんな状況を思い浮かべないため、危険時にはパニックに陥りやすい。動画サイトで日本の事故のドライブレコーダー映像集を見ていると、「タイ人なら回避できそうだなという」場面が多いと感じる。

それが良いか悪いかは別の話だが、ここにあらわれるように、日本人は法を守ることが当たり前で、また法に守られることに慣れているために、そのときに自分がどうするべきかについて常に身構え、かつ考えることをやめてしまっているような気がする。

バンコク市内を走る路線バス車内の様子

また、タイは全国的に公共交通機関がバスくらいしかなく、荒い運転のために子どもは座らせなければ危ない。それもあって、子どもやお年寄りに席を譲ることが当たり前だ。

一方で日本に一時帰国をしていると、子どもやお年寄りに誰も席を譲らないという場所に出くわすことも多く、残念な気持ちになる。確かに運転の荒さは比ぶべくもないが、これは優先席の存在もあるのではないか。本当に座る必要があるならば、そちらにまず行けということなのだろう。

タイも優先席があるにはあるが、表立ってルール化されていない。しかしそれゆえに柔軟である。タイの習慣から見ると、日本人はもはや思考停止状態になっているのではないかとさえ感じる。優先席があろうがなかろうが、今目の前にいる人に譲る優しさくらいはあってもいいのではないか。心の中にあるはずの日本人本来の優しさまで置き忘れている気がしてならない。

東京などの人口過密地帯では、幼稚園・保育園の数が間に合っておらず、新設しようにも近所の人たちが「うるさいから」という理由で反対運動が起こることもあるとも聞いている。さらには、除夜の鐘もうるさいと苦情が来て中止になったとか。

実はタイでも同じようなことが起こった。しかし、結末は日本とは真逆だった。

2018年10月に「寺院の早朝の鐘がうるさい」と、近所のマンションに住む外国人居住者が何度もクレームを入れた。一度は寺院も配慮したようだが、それを聞いたタイ人たちが「300年の歴史のある寺院に対する冒涜だ」と激怒。ついにはタイの入国管理局までが捜査を始めた。

タイでは新参者の苦情ではなく、伝統の方を大切にする。

この反応の方が実に普通だ。伝統のある寺院とはまた違うが、それでも幼稚園などの施設は未来の日本に必要なもので、行政もなぜそれを突っぱねたり施設に力を貸さないのか不思議である。ちなみに、タイのこの事件のオチは、そのマンションの外国人居住者全員の身元調査が行われ、その中に指名手配されていた韓国人詐欺師が紛れていて逮捕された。

タイではバスや電車(BTSなど)に時刻表がない。理由は単純に「だれにも時間が読めない」。

いい加減で、ときに無茶苦茶なタイ人だが、一方で人間味があるのもまた魅力である。日本人がタイ好きになるのは、こういった昔ながらの日本人にもあったであろう優しい気持ちをタイ人の中にみつけることができるからなのではないだろうか。

今は不審者情報などが飛び交い人を信用できなくなったことによって、自分の身内にしか優しさを見せられなくなっていると思う。タイでは隣近所、ちょっと知り合った人に対しても優しくすることがいまだに普通だ。そういった心をタイ人は持っていて、一方の日本人は忘れかけていると思う。

 

日本経済は「屋台」によって商機を見いだし活力を盛り返そう!

経済はどうだろう? 日本が世界的に見て先進国であるというのはもう世界中の誰もが認めることだろう。しかし、経済的にも文化的にも発達し尽くしていて、これ以上の伸び代が世界的に見て少ないのも事実だ。

タイの屋台の原点は水上マーケット。当のタイ人は「古臭い」という見方をしていたが、近年はアンティークブームもあって見直されてきている。

若い人は働いても働いても給料が上がらない。購買力もなくなるので、あとは経済的に衰退するしかない。若者は法律や規則などのルールにがんじがらめにされて、閉鎖的な空気をものともしない群を抜いたバイタリティーがない限り、這い上がることもできない。

機械とパソコンと小さなスペースがあれば商売を始めてしまうタイ人の若い人たち。

しかし、渋谷のハロウィンの様子を知る限り、若者に元気がないわけではなく、それを発散する場所がなく悪い方向に出てしまうと考えている。これをうまく解決する方法があると僕は思っている。

それは一度、先進国のプライドを捨てることだ。なにもかもが法やルールで決められている日本。一見すると守られているように見えるが、それに従ってさえいればなにも考えずに生きていけるという諸刃の剣でもある。最近よくいろいろなところで見聞きする「自己責任」。いっそのこと、これに頼るべきではないか。自己責任を当たり前のこととして、もっと自分で考えて、自分でなんとかする場面を作るのだ。

具体的な話をすると、「屋台をもっとオープンに解禁する」ということを僕は提案したい。「何かあっても自己責任」を前提に、取り巻く法令を緩くしてしまおう。

最近はこういったおしゃれな移動屋台も増えてきている。

タイも屋台に関しては保健省の法令があり、実際にはかなり細かい部分まで決められている。とはいっても、日本ほどはがんじがらめでもない。日本もそこまで降りて行って、そこから始めたらいいのではないか。

日本もアジアの一国である。タイやベトナムをはじめとした、屋台も観光のひとつである国々のように、もっと路上をオープンにしたらどうか。昨今の東南アジアも屋台規制が始まりつつあり、タイはその対策として民間企業が広い土地を整地して、屋台スペースとして貸し出している。資金に余裕のある人なら、そんな事業を起こしてみるのもいい。

チャトチャックは今や新進気鋭のデザイナーにとって憧れの出店スポット。

バンコクで有名な週末市場「チャトチャック・ウィークエンドマーケット」も、第2次世界大戦直後の国民たちに現金収入のチャンスを与えるために考案された政策のひとつだ。こういったスペースを与えることで、若者たちがチャンスを掴める。

なにより、屋台は楽しいではないか。路上でがやがやと楽しむ。毎年5月ごろから「タイ・フェスティバル」などが各地で開催される。そういった屋台の疑似体験や、昔から日本が縁日に親しんでいることからも、屋台が好きな国民性は明白である。

サムットプラカン県の祭り。タイは行政が祭事開催などで出店場所を得るチャンスをくれる。

奔放に生きるタイ人たちに囲まれて生きていると、日本人は他人の目を気にし、不必要なまでにルールにこだわる人種に見える。しかし、一方では自分の欲求やストレスには正直であるか、あるいは逆に耐性がない人も多く見受けられる。こういった鬱屈した気持ち、ひいては閉鎖的な社会の空気を改善できるのが「屋台」なのである。

日本人には、いわゆるオタク気質がある。屋台も他国にはないオリジナルのものが生まれるはずだ。サービスをする側も消費者側も楽しめる。そうして「ああ、日本はいいな」と思えてくる。そうすれば、今日本人が失いかけている「日本人らしさ」を取り戻し、豊かになるのではないか。「路上の東南アジア化」を僕は日本に求めたい。

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この記事を書いた人

高田 胤臣

高田 胤臣

1977年、東京生まれ。1998年に初訪タイ、2002年からタイ在住。タイの救急救命慈善団体「華僑報徳善堂」唯一の日本人ボランティア隊員。現地採用社員としてバンコクで日系企業数社にて就業し、2011年からライターになる。単行本数冊、AmazonKindleにて電子書籍を多数発行。執筆のジャンルは子育てネタからビジネス関連まで多岐に渡る。最近は「バンコク心霊ライター」の肩書きがほしく、心霊スポットを求めタイを彷徨う。

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