“早く大人になりたい、なぜなら両親がいないから”ー。中国人看護師ルシアの過去と夢

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ゲームサークルで出会った、看護師の友人

中国・上海で、吴雅芸(ウ・ヤユン)と私が知り合ったのは、週末に有志で集まってボードゲームをするサークルでのこと。私たちは世代も職業も違うものの不思議と気が合い、それ以降はサークル以外でもご飯を食べたり、お茶をしたりする友人になりました。(彼女は日常的に英語名である「Lucia」を名乗っているので、以降「ルシア」と呼ばせてもらうことにします)

ルシアは日本語が堪能で、英語も話せるため、現在は外国人向けのクリニックで看護師として働いています。お嬢様風の見た目とは裏腹に、芯が強くしっかりとした考えを持っている彼女のことは、私よりもかなり年下ながら尊敬しており、また大好きな友人の一人です。

そこで今回は、どういうきっかけで看護師になったのか、日本語を学ぶことになったのか、またその芯の強さの背景など、以前から気になっていたことを聞いてみました。彼女の明るい笑顔からは想像できませんが、ここに至るまでの人生は波乱万丈だったようです。

現在は看護師として働きながら、週末は大学に通っているルシア。ということで、彼女が通う上海師範大学までお邪魔しきました。

 

中国の学歴社会は日本以上に熾烈

海辺

今日はよろしくね。現在の大学での専攻は何? 学生生活は楽しい?

ルシア

よろしくお願いします。専攻は日本語です。最初は覚えることが山ほどあったし、勉強も大変で辛かったけど、今はかなりできるようになっているのでとても楽しいです

海辺

いいね、そもそも日本語を勉強しようと思ったきっかけは何だったの?

ルシア

実は初めは日本語にまったく興味がなかったんです。中学3年生で看護学校を受験する時に、英語、日本語、レントゲンやリハビリ、薬剤などの専攻からひとつ選ぶんですね。その中で一番ランクが高かったのが日本語関係だったんです。自分は成績が良かったので(笑)、就職も考えると難しいところに入っておいたほうがいいかなと

海辺

さすが! 昔から意識が高かったんだね。ところで、こんなことを聞いたら失礼かもしれないれど、中国はかなりの学歴社会でしょう。中学卒業後に高校に進んで、大学を目指そうとは思わなかったの?

中国の受験生たち(©Cyclohexane233)

そう、中国では日本以上に学歴を気にします。ある友人は「大学を出ていない男性とは絶対に付き合いたくない」と公言していたほど。男性のみならず、短大卒の女の子が彼氏の両親に「四年制大学を出ていない子はだめ」と言われてしまったという話を聞き驚きました。

人間の本質はそこじゃないだろうとは思うのですが、「日本ではそういう考えかもしれないけど、中国では違うの。大学に行かないということは、よほど貧しいか勉強ができないかのどちらかだから、価値観が合わない」と、習慣の違いを持ち出されると返す言葉もありませんでした。もちろんこれは極端な例でしょうが、そのように考える人が多い傾向にあるのは確かなようです。

 

母と暮らし、父と暮らし、そしてひとり……複雑だった家庭環境

ルシア

もちろん大学には行きたかった。でも、私には両親がいないので、一刻も早く社会に出ないといけなかったんです

彼女の話によると、5歳までは父親はほぼ家におらず母親と二人暮らしのようなもの。そのあと父親が戻ってきて一時期は3人で暮らしたものの、1年後に今度は母親が家を出て行ってしまいました。母親とはそれ以来音信不通で、しばらくは父親との二人暮らしが続くことになったそうです。

海辺

お父さんと2人の生活はどんな感じだった?

ルシア

とにかく毎日自由。父は遅くまで帰ってこないこともざらにありましたし、宿題をやらなくても、夜中までテレビを見ていても何も言われない。夜中0時くらいに、お父さんと2人で近所の食堂に食べに行ったことも度々ありました。小学生が(笑)。信じられないでしょ。時にはお父さんの彼女が家に来て、3人でご飯食べたりもしたし(笑)。今思えばおかしな生活だったけど、それでも父のことは好きでしたね

ルシア

この写真は父と2人で旅行に行ったときのもので、20年くらい前だと思います。ここ(橋の欄干)に立つのは怖くてすごく嫌だったけど、「大丈夫だから」って父がしっかりと支えてくれて、とても安心した記憶は今でもはっきりと残っていますね

海辺

お父さん、なかなかイケメンだね

ルシア

そうでしょう。この時はすでに40代後半になっていたと思うけど、モテたみたい(笑)

 

大好きな父の死、親戚の家を転々とした末によその家へ

父親が亡くなったのはルシアが12歳の時。そのあと彼女は親戚の家に預けられましたが、そこでの生活は厄介者扱いでうまくいかず、いくつかの親戚や知り合いの家を転々とします。

最終的には行くところがなくなり役所に駆け込んで、そこで相談した結果、政府がお金を援助し、母娘二人暮らしの家庭に住まわせてもらうことになったそうです

交番には、こんなかわいらしいものもある。

ルシア

そこの家庭は貧しかったので、補助金はありがたかったみたいです

海辺

お母さんと娘さんは優しかった?

ルシア

優しくはなかったかな。でも親戚よりはましだった(笑)

笑顔で話すので悲壮感がないものの、親戚の家を転々とした後に、交番で役所までのバス賃をもらった話を聞くのは辛いものがありました。

中国には孤児院こそありますが、このように政府が孤児を一般家庭に斡旋して援助する制度が確立しているのか調べてみましたが分からず。もしかしたらルシアは特例だったのかもしれません。

今の笑顔からは想像もつかない過去がありました。

 

猛勉強、奨学金を受けて看護学校へ

海辺

大変だったんだね……。では看護学校へは奨学金で?

ルシア

そうです。返金義務のない奨学金を受けることができました。色々対応してくれた役所の人たちには感謝しています

中国で一般的に奨学金といえば、返金義務がない「給付型」。日本では卒業後に返金が求められる「貸与型」が主流ですが、中国では「学習ローン」と呼ばれています。ルシアが受けたのは「給付型」で、成績が優秀でないと受けられず、もちろん家庭環境や収入も考慮されます。

海辺

看護学校に入学してからは寮暮らし? 生活が大変でも、アルバイトはできないでしょう

ルシア

はい。中国では未成年(18歳未満)ができるアルバイトは少ないし、勉強が大変で時間もありませんでした。毎月250元(約4500円)の補助金をもらえましたが、外食などはできないので、クラスメイトに誘われても断るしかなく「変わった人」という目で見られるのがちょっと辛かったですね。結果、勉強しかすることがなかったから成績は良かったんですけど(笑)

このころは、まだ日本語は少ししか話せなかったというルシア。4年間の看護学校時代に日本語の授業があったものの、そこまでしっかりとしたものではなく、「日本語専攻」とはいいつつも卒業時に多少なりともモノになったのは40数人ほどのクラスでルシアを含む4人程度だったそうです。

ゲームサークルの様子(左から筆者、ルシア)

 

有名国立病院に就職、そして大学生に

19歳で看護学校を卒業したルシアは、上海にある有名国立大学病院に就職。話を聞けば、その病院は給料が良く、在籍する看護師でも大卒がほとんどで、中卒で看護学校出たての19歳が入れるところではなかったとのこと。

ルシア

お金がなくて勉強ばかりしていたのが幸いでしたね

しかし、そこでの生活もまた楽ではなかったと言います。

ルシア

配属されたのは神経内科でした。毎日実務、筆記の試験があり、勤務時間も長い。精神的、肉体的にも辛くて、1年経たずに辞めてしまいました

海辺

お給料が良かったのに、ちょっともったいないね

ルシア

迷ったけど、ちょうど希望していた外国人向け病院が募集してたこともあって

それから彼女は主に欧米人の患者さんが多い病院に転職し、1年半ほど勤務。この頃から、働きながら冒頭の上海師範大学に通うことになったそうです。

海辺

仕事と学業の両立は大変でしょう?

ルシア

そうですね。仕事は慣れてきていたころでしたが、大学は覚えることが多すぎて大変でした。火曜日の夜と日曜日に授業があって、しかも日曜日は朝から晩までです。でも、念願の大学。今まで自分は大学を出ていなかったことがコンプレックスだったので、いずれ「大卒」になれるのがうれしくて頑張りました(笑)

昼時の学食は大盛況。たまたま撮った写真に「I LOVE SHNU(Shanghai Normal University/上海師範大学)」と書かれた大学グッズのTシャツを着ている人が2人写っていた。日本ではあまり見かけないが、こちらの学生さんは普通に着るようです。

学食で話を聞いていたところ、ルシアの担当教授にばったり遭遇したのでちょっと話を伺ってみました。「写真は勘弁して~」と拒否されてしまいましたが、先生はとても気さくで、色々な話をしてくださいました。

海辺

先生、ルシアはどんな学生さんですか?

先生

とにかく真面目。質問も多いし、授業を真剣に聞く姿勢はNo.1だね。ただ、最近ちょっと慣れてゆるんできてるかな(笑)

ルシア

え! そうですか?

先生

でも、本当に頑張り屋さんだよ。すぐにメモを取るのが印象的でね

確かに、彼女は私と話をしていて何かわからない言葉が出てくるとすぐに聞き、メモを取ります。ちなみにこの日も「あばたもエクボ」という言葉を教えることになったのですが……。なんでそんな話になったんだっけ。

学食のメニューは中国らしくボリュームたっぷり。

現在ルシアは4年生。来年の春卒業とのことで、最近は授業のコマ数も少なくなってきているそう。初めて会った2年前と比べても、日本語能力は格段にアップしており、今では日本に数年間留学した中国人にも引けをとらないレベルです。

 

日本語能力をいかんなく発揮し、より良い外国人向け病院へ

無事大学に入学し、両立も板に付いてきたころに、今度はさらに大きな外国人向けの病院に転職。そこでの生活は本当に楽しかったといいます。

ルシア

仕事が慣れてきたこともありますが、勤務時間も長くなく自分の時間が持てるし、病院内の人間関係も良かったので生活に余裕が出てきました

海辺

そこの病院も患者さんとは英語でやりとりすることが多かった?

ルシア

はい。英語は独学なので日本語ほど自信はないのですが、だいぶ鍛えられました

海辺

独学なんだ!

ルシア

そう。中学と看護学校で少々やった程度で、あとは自分で勉強しました

本当に彼女の努力には頭が下がる。その後、上海市内に外国人向けの新しいクリニックがオープンするに当たって、ルシアはそこへ引き抜かれることに。

看護師として勤務しているときのルシア

海辺

それが今の病院だね

ルシア

はい。そこは新しいのでみんなが初対面。人間関係も一からだから雰囲気もいいですよ。そういえば、暁子も来たことがあるよね

海辺

あの時はびっくりした(笑)

上海市内には日本語が通じる病院が数軒あり、風邪をひいてたまたま入った病院にルシアがいたのです。看護師をしていることは知っていたものの、当時は勤務地など細かいことまでは聞いていなかったので驚き。オフィスビルに入っているクリニックですが、日本人医師も数人おり、受付スタッフも日本語ができるため、現地在住日本人にとってはありがたい存在です。

一時期よりは減ったとはいえ、上海には現在も4万人以上(※平成29年発表海外在留邦人数調査統計より)の日本人が暮らしています。メニューが日本語で書かれている日本人向けのレストランは数え切れず、日本人学校(小・中学校がそれぞれ2校)と、さらに世界で唯一の日本人学校の高等部もあります(※私立の、いわゆる私立在外教育施設はほかにもある)。それほど日本人になじみやすい都市ですから、こうして日本語が通じる病院も数十軒に及ぶほど。

日系ではない普通のスーパーでさえも、日本の調味料や食材がずらりと。

ルシアはこの病院が4つめの勤め先。転職が多いように思われるかもしれませんが、中国ではよくあること。よりよく評価してくれ、環境がよい職場に移る際の迷いは、日本よりも少ないと感じることは多々あります。

 

「いずれは自分も」、独立志向の強い中国人

海辺

今後の目標はなに?

ルシア

できれば将来は日本語を活かして医療ビジネスを立ち上げたいのですが、具体的なアイディアはまだ出てきません。とりあえず、今の一般看護師からワンランク上の主管看護師を目指したいです

海辺

そうなんだ。やっぱりルシアは向上心があるなぁ

中国で生活していて強く感じるのは「独立したい」という気持ちを持っている人が多いこと。先ほど登場した大学の教授には、会って5分くらいで「海辺さんは何かビジネスしたいと考えないの?」と聞かれ、面食らったほどです。とはいえ、中国人と会話をしていてこのような流れになることは少なくありません。

彼女は現在25歳。大学、仕事にも慣れ、休日にはさらに日本語を上達させるため、日本人が多く参加するバドミントンやゲームのサークルにも顔を出しています。

バドミントンサークルでの様子

ルシア

仕事も勉強も楽しいです。周りに大好きな人もたくさんいるし、今が一番幸せ。あとは早く大学を卒業して堂々と「大卒」って言いたい(笑)。私の歳で大学に行ってない人は周りにあまりいないから……

大卒にこだわる彼女ですが、私の周りにいる中国人(大卒や留学経験者)と比べても手に職がある分収入は良い方ですし、日本語も上手い。幼少時の家庭環境もいいとはいえなかったものの、その苦労があってのことでしょうか、礼儀や気遣い、そして中国人が指摘されがちなマナーの部分もかなりシッカリとしています。

多感な10代を苦労して過ごしたルシアには人一倍幸せになってほしいと、母のような目で見つつ、はからずも怠惰な毎日を過ごす自分を戒めることとなった今回のインタビューでした。

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この記事を書いた人

海辺 暁子

海辺 暁子

2016年より上海在住。日本にいるときから典型的なO型と言われ続けてきましたが、こちらにきてさらにO型っぷりに磨きがかかりました。色々なことが自由なので体重も順調に増してます。中国の家庭料理「宮保鶏丁」が好きすぎて、大量に作って冷蔵庫にストックするのが幸せ。

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